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Showing posts from August, 2017

やる気スイッチなんていらない!やる気がなくてもやれるようになるんだ!と思っているわたし

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今日はやる気がなかったので、やる気について書いています。 やり始めなければやる気は出ない、というのを脳科学者の池谷さんの本を読んで見た言葉。 そのことも近頃はよく知られるようになった(?)けれど、 やり始めなければやる気は出ない、やり始めなければやる気は出ない…と思ってばかりの堂々巡りで何も進まないのがわたしです。 ああやらなきゃ…やらなきゃ…と思って、ぐるぐるぐるぐる… じゃあどう始めるんだ?と思ったら、その答えに出会ったので、喜んでいました。 やる気が出ないときは「とりあえず」で行きましょう。気合いを入れるほどやる気は減ってしまいます。 https://t.co/acfx1DXuBh ; pic.twitter.com/WRKvGfTgt7 ; — ゆうきゆう❤マンガで分かる心療内科❤ (@sinrinet) 2017年8月16日 ; 「とりあえず」という言葉が嫌いというか苦手で、どうして苦手なのかというとあるシンガーさんが「とりあえずという言葉がコンビニエンスだから嫌いだ」というようなことをmixiの日記に書かれていたのを読んでからでした。それには、とても共感していたのですが、だから「とりあえず」を使う表現をなるべく避けるようにしていたのです。 でも、これを読んで、この言葉自体を頭ごなしに否定するのもどうなのかと思い、時と場合に応じて使っていこうと思った次第です。 意気込まずに、「とりあえず」で、すこし手を付ける。  ・・・・ 過去に、コピーして携帯電話のメモ帳に保存していた文面がなんだったか思い出したくて、検索したらすぐに出てきたので、それも一緒に。 モチベーションを上げることをがんばるのではなく、とにかく手を動かす。 ただただ、やる気がなくても動けるように自分を持っていく。 もうやる気がない自分を責めたりせずに、ただ、動く。  モチベーションに頼むより、自主性を養うほうがましだ。自分に何かをするように強制するのさ。ベッドから無理やり起き上がらせ、動かすのさ。そして働かせる。 ■「モチベーションを上げるにはどうしたらいい?」→ある匿名の答えがすばらしいと評判に   http://labaq.com/archives/51835932.html ・・・・・ さてさて、わたし...

てんやわんや対策(2)ぜんぜん習慣にできない問題

先月の27日の記事 で、しっかりするために、いろいろなんとかする方法を考えていた。(雑だな…) そして、その経過報告を27日にするといっていた。 27日が過ぎ、29日になりました。ぜんっぜん、習慣にできていないことを、ご報告いたします。 自分で決めた27日という区切りを覚えていながら、見返すのが恥ずかしいほどになにもできていなかった。あああぁぁぁ… 以前よりはできるようになったかも?と思うのはメールの即返信だけど、 それでも1日以上かかってしまう人もざらにいて、まだまだ即返信とはいえるようなものではない。 早く返しておいて文章は雑、みたいなのもけっこうあった。よくない。 短いメールでもきれいに返したいので、返事が早い方のメールをもっと真似しようと思う。わたしにメールをくださる方で返事が早い方のほとんどが文章もきれいだ。 日記とタイマーはほとんど、三日坊主どころではなく、ぜんぜんできてなかった。 手帳(という名のやること確認ノート)をみたところ、8月は2日分しかつかっていなかった! なんてこった!ちなみに7月は6日分つかっている。すっくな!!! 瞑想はどうやら1日しかやっていなかった模様。すっっっくな!! ぜんっぜんだめじゃん!くちばっかり!!! ・・・・・・・ 「きめたことをやる」ことができない限り先に進めなさそうなので、なんとかしたい。 習慣をちゃんとつくるために、なにか考えたので、 このふたつで何の効果もなかったら、先月続けようと決めた内容自体を改めます。 ①テクノロジーの力を借りることにして、Habiticaというゲームを使ってみることにした。 Habiticaは、じぶんの日常でのタスクをこなして進んでいくRPGゲームで、 これは何日か使ってみて、どんな感じかまた別で記事にしようと思います。 ②もうすこしマメに、このブログでも書くことにします。 確認する間隔が広がると怠けてしまうので、よかったこととかわるかったこととか、 気づいたことを逐一書いていきます。これはただの公開日記になってしまうんだろうか…。 いま、Habiticaに入力したTo Doリストにチェックを入れて、決めたことを久しぶりにやっているけれど、これをちゃんと続けられたらいいなあ。習慣になってくれ!!

いい「配慮」ってなんだろう?

ときどき読むようにしている記事があって、その紹介というか、そのことについて。 わたしがこの記事をEvernoteにクリップしたのが2015年なのだけど、この記事自体は2013年の記事だったの、今日まで知らなかった。 ■24時間テレビにナメられてしまっている障害者の現在地 | Plus-handicap https://plus-handicap.com/2013/08/1569/ 障害者の世界はナメられています。「どうせ障害者っていろいろなことができないんだろう」って考えられていると思います。そんなこと思ってないよと言って下さる方もいると思いますが、残念ながらマイノリティ。多くの方々には障害者に対する固定観念が存在しています。私自身、その中に含められるのは、大変遺憾です。 その人が挑戦する可能性を徐々に狭める配慮 専門外なので詳しくはないが、 認知症の方はできることがどんどん狭まっていくけれど、少しでもできることを取り上げていくとできることすらできなくなってしまう、だからできることは時間がかかってもやってもらう、というアプローチの方法がある。 認知症のような症状と障害は広い意味では一括りにできるのかもしれないけれど、たぶん違う。 でも生きていれば誰でも、老いていくにつれて、できないことが増えていく。 障害でも老いでも共通することは、できることに目を向けて、それに対してどうにかすること。 できることを増やす、 できることを維持する、 という、二つの方向性があるはずだ。 障害者という括りに入れられている人の大半はきっと、できることが増えていく立場の人だ。 できることを増やす側の人も、維持する側の人も、周りの配慮で可能性が取り上げられないようにならないといけない。 周りの行き過ぎた配慮はその人のできることの範囲を徐々に削る。 バリアフリーにすることだけがすべてではない。 できることを増やす、維持する配慮があっていい。 ・・・・ 壁にぶつからせない、という配慮を、もうすこし広い目で。 あと、 軽いものも含めた精神的な障害の部分でいえば、 まわりの配慮さえあればうまくやれる、みたいな人は多い。 まわりの適切な配慮を受けるために、病院へ行った...

読書メモ / 上野千鶴子「おひとりさまの老後」を読みました。

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上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を読みました。2週間くらいかけて読んだ。読むのに時間がかかった…。 この本は、自分のために生きてるか?という問いかけであふれている。 世間一般の常識、子供の都合、介護者の都合、いろいろあるけれどまず自分のための選択をしよう、というスタンス。 どんな方がどのように、ひとりでも老後を生きやすくするか工夫と整備をされているのか、という 世間の動きなんかも書かれているけれど、基本的には心構えみたいなことを盗むつもりで読みました。 読みながらどうまとめたらいいのかわからない個所にハイライトをしていたので、わかりやすい部分を抜き出していきます。 ゴキブリのように身を寄せ合って暮らすことを 、 「さみしくない」のとカンちがいする貧乏性は 、たいがいにしてもらいたい 。高齢者のひとり暮らしを 、「おさみしいでしょうに 」と言うのは 、もうやめにしたほうがよい 。とりわけ 、本人がそのライフスタイルを選んでいる場合には 、まったくよけいなお世話というものだ 。(No.531) 生きやすいかどうかはその人が決める、ということだ。いわゆる幸せの 型にはまっていなくても、それがその人の選んだことだったらそっとしておいてほしい。そういう型にはまることは、勝ち負けの評価も含まれていたりして、上野さんはこの本の中で常々そういう勝ち負けから解放されることを望んでいる。 聾唖のひとたちのためには 、画面上に手話があらわれる通訳ソフトがある 。が 、インタ ーネット上でチャットやメ ールをやりとりしているかぎり、見えない、聞こえない、話せないは 、まったくなんの 〝障害 〟でもない 。パソコンはバリアフリーのコミュニケーションツールなのだ 。(No.1231) 障害者のひとたちが 、こういうカスタムメイドのソフトの開発に一歩も二歩も先んじてくれるおかげで 、わたしたちは 、そっか 、足腰が動かなくなったらあれを使い 、耳が遠くなったり目が見えなくなったらこれを使えばよいのか 、麻痺が起きたらこの手があるし 、声を失ったらああいう手もある … …と 、安心して歳をとることができる 。(No.1234) 障害にかかわらず、やりにくいことをすこしずつ気づいて、直して、変えていくことで、みんなが生きやすくなることなの...

エコーチェンバーと自己内対話

テレビは苦手だけど、家族がつけていたテレビで目が覚める。 テレビの中では 古田大輔さんという方が「エコーチェンバー」 という言葉について説明をしていて、寝起きの頭で聞いていた。 インターネットは人と人とを繋げることができるけれど、特に 同じ意見の人とつながりやすい。 近い意見の人と意見を交わしているうちに、 真逆の意見を持つ人とは分断されていく。 真逆の意見の届かない場所で、 同じ意見がエコーのように飛び交う小さな部屋のようになる。 この現象が「エコーチェンバー」だ、とのこと。 「自己内対話」というのは、 そういう場面から自分の真逆意見を聴くための考え方。 たとえば、自分が 賛成派ならば、反対派の意見になってみて考える。 自分の中で意見を対立させて、対話をするという方法。 前々から、こういうことがらは気になっていたけれど、名前がついていたとは…。 これ、どちらも政治的な話だけではなく、何の話題に対しても言えることですよね。 Twitterを見ていると、自分がフォローしている人=近い考えの人の意見ばかり目にすることになるから、さもそれが多数派のように感じてしまう。 誰かが、ある本について言及しているいろいろな人のツイートをリツイートしていると、その本がさも流行っているような気がしてくるし。 相手の気持ちになって考えようよ、というけれど、それが「自己内対話」なのでしょう。 自分の意見が当たり前になってくると、それがわからない人を攻撃してしまうし、 たとえわかりあえなくても、そういう意見があるということを尊重できるような余裕を持ちたい。 世の中にはいろいろな対立意見がはびこっているけれど、どの意見に対しても。 ・・・・・ ちなみに、これを見た番組はTBSの「サンデーモーニング」で、わたしはこの番組自体がちょっと苦手です。 能天気なBGMも、司会を務める関口さんの手慣れた感じも、長らくあまり好きになれません。 こういう対立意見を考えるという話をしているので、せっかくなのだからテレビ側もいろいろな意見を積極的に流してほしいのだけど、テレビ側にも事情はあるだろうし難しいのでしょうね。

きになるたてもの / 旧稲葉地配水塔・名古屋市演劇練習館アクテノン

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今日も名古屋のローカルネタです。 給水塔を見にいきたい!と思って調べていたところ、 東山給水塔という現在は閉鎖されている給水塔があることを知り、 同じ設計士さんが設計した稲葉地配水塔という建物があるらしいことを知り、 それが、名古屋市演劇練習館アクテノンです。 (画像引用元  http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000038074.html ) アクテノンは演劇の「アクト」、水の「アクア」と、神殿の「パルテノン」を掛け合わせた言葉で、公募で選ばれた愛称。 その名の通り、まるで神殿のような独特の外観です。 配水塔としての役割を終え図書館となり、その図書館移転後は現在のように練習室を貸し出す施設になりました。 建物の中には図工室のようなお部屋や和室もあり、柱で支えられている最上階は照明卓もある大きなリハーサル室があります。そしてこの最上階が、かつては給水タンクだったとか。 わたしも、過去に何度か利用したことがあり、馴染み深い場所です。 通っていた大学のそばにあるので、しょっちゅう横を通っていたし、見慣れているのですが、 いやはや、これが配水塔だったなんて知らなかったのか興味がなかったのか……。 さてさて、住宅街、まっすぐな道の突き当たりにそびえ立つ大きな白い建物です。 明らかに浮いています。 もっと大通りにあったら見つけやすいのですが、一本入ったところにあるので見つけにくいです。 こちらは別の角度から。南側、建物の裏側からの写真です。 素敵な景観だとは思うのですが、見慣れていなかったらちょっとびっくりしますよね。 ・・・・ アクテノンについて、参考にしたサイトを。 ■名古屋市:名古屋市演劇練習館(旧稲葉地配水塔)(観光・イベント情報) http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000038074.html 名古屋市のサイト。一枚目の画像の引用元です。 あまり詳しいことは書いてないけれど、基本的なことは一番すっきり書いてある。 ■ BACK STAGE REPORT~report no.12 名...

わたしだって「無用途人間」ですからね

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笑いの世界はよくわからないのだけれど、ラーメンズは好きなほうです。YouTubeでたまに見ている程度のものだけれど、いつか ライブに行きたい。 初期の頃のネタに「無用途人間」というコントがあって、わたしは それが好きです。 この記事はネタバレというか、そういう感じなので、ご存知ない方はまずご 覧いただきたいです。どうぞ。 https://youtu.be/f0xPUeti-i4 無用途人間が、伝達用人間という用途をもらう、その目的を果たす とまた無用途人間に戻ってしまう。用途をお互いに伝え合うのを繰 り返すお話です。 こういうことって、ここまで露骨ではないにしろ、ありませんか? ないか。ないですよね。 ああ、そうです、今日は、ライブのお手伝いをしました。ほんの少しだけ演奏に入れてもらったりしま したが、基本的にはお手伝いです。 わたしは、普段から自分のことしか気が回らないスットントンです 。今日もせっかくお手伝いとして呼んでいただいたのに、気が回ら ないことばかりでほとんど力になれませんでした。 演奏をする人が演奏に集中できるように、さまざまな面で先回りを してお世話するのがベストなのですが、気がつくと言われることを 待つ人になってしまう。言われることを待っている間はまさに無用 途人間なのです。  「言われることをやる」という目的を達成するために、何もしてい ない人。 「言われることをやる」という目的を達成するために、先回りで気 を遣うことをあきらめ、無用途に徹する人。 「言われたことをやる」ために、言われること以外のことを見過ご してまで、無用途に徹する人。 書き表してみるとなかなかひどいものですが、 自分のことを無用途人間みたいだなあ、と思ったら、もう少しがん ばれそうです。ツッコミどころが多い。 演奏が上手な方はこぞって、話し上手、気配り上手、相手に気を遣 わせない上手、なので、こうなりたいと思うばかりです。がんばり ます。 ・・・・ さてさて今日は、とあるジャズの演奏会に急遽、こっそり と、乗せていただきました。関係者のみなさま、お越しくださった みなさま、本当にありがとうございました。 同世代...

きになるたてもの / 中京大学名古屋キャンパス

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今日は、名古屋のローカルネタです。 思っていることが書いてあるだけで誰の得になることも書いてありません。 ちなみにわたしは中京大学の学生さんでもなく、関係者でもありません。部外者がとやかく書いていると気味が悪いとも思うのですが、どうかご容赦ください。 山手グリーンロードを通ると突如現れる中京大学名古屋キャンパスの話です。 この校舎、 地階は大きなアーチ、上の階に小さなアーチが積み重なっているという見た目。 部分的にですが、道路の両側にアーチの建物が建っているような感じです。 たくさんある 校舎のほぼすべてにアーチがつけられていて、とても特徴的な外観です。これは名古屋キャンパスだけではなく、豊田キャンパスも付属高校も同じような外観だそうです。 …それで、私がこの校舎を初めて見たときは「なにこれ!!!!!怖い…!!!」と軽く恐怖を抱いたのですが、『中京大学 校舎 怖い』とかで検索しても、誰も怖いなんて言っていないんですよね。本当に誰も怖くないのかな。 (キャプチャ http://www.chukyo-u.ac.jp/information/about/a4.html ) 中京大学の大学概要のページを見る限り、1971年に豊田キャンパスが開設された時の写真にはすでにアーチが取り入れられています。 その後、「センタービル」という山手グリーンロードに面した特に大きな建物が出来たのは、大学創立40周年にあたる1994年。 歴史も長く、地元になじんでいるために、誰もなにも思わないのかもしれないですね。 わたしもだんだん慣れてきて初めほど怖いとは思わなくなってきたのですが、やはり周りの建物とは違うので目を引きます。 どうしてこのような外観になっていったのか気になりますね…!そんなことを思うのもわたしだけかな…笑

8月19日は水野修平ビッグバンドを聴きにいきました。

昨日お会いした大学の後輩さん(といっても深いかかわりもないので、そう呼ぶことが正しいのかはわからない)から、「修平さんのInstagramに載ってましたね」と言われて、それを見せてもらった。そういえば写真撮ってたなあ。 そう、もう先週のことですが、8月19日は水野修平Bigbandのライブを聴きに、名古屋は金山のMr.Kenny'sに行きました。 水野修平さんのオリジナル曲を演奏するビッグバンドで、年齢や活動ジャンルもさまざまなメンバーが集まり、名古屋を中心に活動されています。 わたしも去年、結成直後に少しだけ参加させていただいていました。 わたしの渡仏前の最後の本番がこのバンドのライブで、音を浴びるのはそれ以来。 私が参加していた当初より、サックス4管体制から5管体制になったり、新曲が増えたりと直接変わった部分はあります。そういう違いはありますが、バンドの内側から聴くときと外側から聴くときはやっぱり違って、新鮮です。   メンバーさんたちも音楽への寄せかたを模索しているようで、わくわくします。私も頑張ろうと思いました。ただ、小さめのライブハウスなので、ビッグバンドだと必然的に音量の攻撃みたいになってしまいますね。せっかく音の重ね方がおもしろいのに、ごちゃごちゃしてしまってざんねん。 修平さんも組曲を書いたり、新しい在りかたを探しているように見えました(自分が初めて聞いただけで新しくはないのかな)。ビッグバンドの曲だったら一曲の中でいくらでも変化をつけることができるのに、あえて性格の違う曲を3曲繋げることで表現するという、こういうのもありなんだなあと思いました。 修平さんは、圧倒的にアレンジの引き出しが多くて、全然敵いません。緻密な組み立て方、聴いていて思わずニヤッとしてしまういじわるな書き方や、気持ち良い響きは、新曲が増えてもアレンジが変わっても健在です。 ビッグバンドが持つ魅力は迫力だけではなく、室内楽的なアンサンブルの面白さが確かにあることを見せつけられているかのようで、何度もはっとさせられます。 *** 修平さんがわたしの写真を載せてくださったこと、うれしいような何とも言えないような不思議な気持ちなのですが、ただ埋め込みタグの機能を使ってみたいがためにその写真を勝手に貼りますね。そのためにこの記事を書いたとい...

下宿より実家のほうが、時間がゆっくり流れている

わたしの先生から、大きな本番の後は1週間から2週間休みなさいと言われているので、真に受けて休んでいます。今、全然練習していないです。 楽器を練習する以外にやることって、本を読んだり、CDを聴いたり、動画を観たりTwitterを眺めたり、パソコンを開いて何かやることをやったり(?)しているのですが、それに加えて昼寝をしたりしている間にあっという間に時間が過ぎていきます。このブログも全然更新していないですね。 あとは、誰かと会う約束を取り付けて何か話したり。家族がいるときは家族と話したいこともあるけれど、みんな働いているのでいないことのほうが多いです。 そういうわけで今日も、ぼーっとしながら、下宿で何度も聴いていた動画を、実家でももう一度開いて聞いていたけれど、どの曲もテンポがすこしゆっくりに聞こえるんですよね。気持ちが緩んだのか、なんなのかわからないけれど、どの曲も5くらいテンポを下げているみたいで。不思議です。 体感のテンポ感が変わっても嫌いになったりするわけではないのですが、自分の感覚って頼れないこともあるなあとか、受け取り方にはその人の体調や気持ちも関係するなあとか、そういうことを実感しています。 曲を始めるたびにメトロノームをつけてテンポを確認するドラマーさんがいたり(たぶん結構いらっしゃいますよね)、リハでは普通なのに本番でテンポが暴走してしまう人がいたりするのも納得です。 かという私もゆっくりになったり、はしったり、ゆっくりになることを阻止するために巻いたりします。めちゃくちゃですね。わたしも ドラマーさんのメトロノームみたいに、自分の感覚以外にも頼れるものを持とうと思いました。 おわり。

たくさんの演奏に触れることが大事という気付き(わたしの管打2017)

最近Twitterの鍵を外して公開にしました。あまり誰の参考になるものでもありませんが、自分の忘備録やなんやらを兼ねて、自分のツイートをまとめたり加筆したりして、思ったことを書きます。 まずはじめに、今回参加するにあたって指導してくださった先生方、 ピアニストさん、助けてくださったり、応援をしてくださったみなさま、本当にありがとうございました。 結果から言いますと、わたしは一次予選も通っていません。 ひたすら、勝ち残った方たちの演奏を聴いて楽しんでいたコンクールといっても過言ではありません…悔しいという感情は殆どなく、、楽しかったー! という後味が強いです。 今までは結果が出なくて泣くほど悔しかったコンクールが多かったのに、なんだか変な感じです。 東京まで来たところで受験票を実家に忘れたことに気が付いたわたしをどなたか応援してください。このコンクールを受けられるかどうかが最大の勝負です。わたしは3年前もトンチンカンなミスで受けられなかったのでただのバカではありません。 — saéono (@biiibibi3jpn) 2017年8月13日 運営の方に問い合わせたところ、なんとか対応していただけるとのことでした。ありがとうございました。あとはちゃんと音楽します — saéono (@biiibibi3jpn) 2017年8月13日 情けないです。こんなところでも自分の忘れっぽさを発揮してしまいました。 ちなみに、実家においてきた受験票を、家族にスキャンして送ってもらい、それをコンビニでコピーしたものに写真を貼ったものをつくりました。運営の皆様、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。 自分の出番は後悔が七割なのだけど、他の十数名の方を聴ける限り聴いてきたので、気持ちをリセットしているです。ほんとうにいろんな解釈の人がいて、半年間ほぼ孤独にさらっていたわたしにとってそれが目から鱗でした。 — saéono (@biiibibi3jpn) 2017年8月14日 それから、コンクール久しぶりだし、全国区のコンクールだし、すげえばけもんみたいな人ばっかりいるものかと思って怯えていたのだけど、自分と(たぶん)同じくらいのレベルの人もちょくちょくいらっしゃるのですな。たぶんなのは全然自分を客観的に見られないからで実際わたしが...

読書メモ / はあちゅうさんの本を読みました。

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Kindle unlimited を漁りながら、はあちゅうさんの本で、読み放題対象になっている本を読みました。 「「まいっか」が夢をダメにする:月間はあちゅう(2017年1月)」 これは、はあちゅうさんのエッセイをまとめた本。日々の細やかな気づきなど綴られています。 内容や口調もいたって普通でありながら、自分はこういうことを見過ごして生きているのかと思うと、はっとする。 「自分らしく過ごせば疲れない」 というコラム。 内容ははあちゅうさんがテレビで見聞きした、旅行を疲れなくするための方法です。 でも、そこから発想を広げて、はあちゅうさんの意見が付け加えられている。見聞きしたことで得るのははただの知識だけではないのだと思い知らされます。 「今日から人生を変えるためのエンジンになる本」 こちらは、さまざまなサイトでのはあちゅうさんの文章の、おいしいところをまとめた本。 はあちゅうさんの視点や心がけていることを覗き見しているような気持ちで読みました。 キラキラした世界って 、実はたいしてキラキラしてないんですよ (笑 ) 。多分眩しく見えるものって 、自分にとってのコンプレックスみたいなものだと思うんです 。全部自分へのブ ーメランなんですよね(No.485) 光と陰みたいなもので、それがキラキラしているかどうかは、誰が見ているかによるのだということ。 でも 、自分に確たる実績がないと 、仲間とは思ってもらえません 。だから 、自分のいる場所で 、自分のやるべきことをやる 。それが 、まわりまわって人を呼んでくれていると思います 。(No.552) 会いたい人や尊敬している人に会うことは、案外簡単。でも、仲間にしてもらえるかどうかは別。 そういう人が自分を仲間にしてくれたら、もっとできることも増えるし、成長もできる。 そのためには、自分が自分の場所でやるべきことをする。実績を作る。 はあちゅうさん、人としてしっかりしているので、わたしもまずそこから変えていこうと思いました。 わたしは最近はあちゅうさんのTwitterをフォローして、いろんな本を書いていらっしゃることを知り、ご著書を読もうと思ったところでした。 文章ひとつひとつが、なんともないよ...

読書メモ / 「嫌われ者たちのリレー式コンテンツ会議」を読みました。

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はあちゅうさん、イケダハヤトさん、箕輪厚介さん、渡辺将基さんによる「嫌われ者たちのリレー式コンテンツ会議」を読みました。(なんとまだ出て間もないのに kindle unlimitedにあった!) みなさんそれぞれ、文章に携わる仕事をされていて、それぞれのフィールドで活躍されている方です。 バリバリに働いているわけではない一学生のわたしとしても、参考になることがたくさんありました。 まず、飲み会についてのはなし。 わたしは飲み会が苦手です。かと言って行かないわけにもいかない、みたいなときに悩んでいたのです。 はあちゅうさんが挙げていた飲み会に対するマイルール、 ● 5人以上の飲み会は行かない ご飯会のコンテンツはご飯ではなく 「話 」だと思っているのでちゃんと相手のことが知れる最大人数って 5 、 6人くらいまでかな 、と 。(No.711) これ! とても頷きました。 大事なのは話なのです。相手から聞いたり自分も口を挟んだりするとき、大人数だとまともに話できないです。 カラオケだとわかりやすいけど、パーティールーム級の大人数でカラオケに行くとき、カラオケ自体は大事ではなく、大人数で大騒ぎすることが目的になっている。 カラオケは時間的にも制限があるし、複数人でお互いに歌うことを楽しめる人数は、せいぜい6人くらいかな? 飲み会自体が悪なのではなく、何を目的として行われるのか、そこで自分が何を得られるのか考えて、行くかどうか決めればいいのです。 イケダハヤトさんもはあちゅうさんも、話したいなランチでいいじゃん!というようなことを言っているので、なんだかありがたい。思ってもなかなか言えないのだ… 今までは飲み会に行くかどうか考えてやめるとき凄まじい罪悪感を持っていたのですが、無理するくらいなら参加しなくてもいいのかな、と軽く考えられるようになりそうです。 それから、箕輪さん、渡辺さんのスランプの乗り越え方もおもしろかったです。   まあ有り得ないけど 、もしそうなったら死ぬほど嬉しいな 、っていうような妄想をして 、実際に思い込みます 。そうすると当たり前ですが 、やる気出ますよね。(No.1528) 箕輪さんのスランプ対策のひと...

読書メモ:イケダハヤトさんの本を読みました②

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ちょっと前ですが、何かを思い悩んで立ち止まっていたので、何か本を読もうと思いイケダハヤトさんの本を2冊読みました。(ちなみに何を悩んでいたのかもう思い出せない…) イケダさん、やっぱりブログでもこれまで読んだ本でも一貫して同じことを書かれているのですが、本として書いてあると読みやすいのでいいです。 読んだのは、「凡人を脱するための10の考え方」と「イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?」の2冊です。 完全に悩んでる自分の視点で読んでいるのであれですが、マーカーを引いている部分を紹介します。 まずは「凡人を脱するための10の考え方」から。 論理的であるというのは 、シンプルにいって 、単に 「こじつけがうまいだけ 」なんですよ 。関係のなさそうな 「 A 」と 「 B 」を 、美しくつなげて 、 「 C 」という結論 ・仮説を導き出す 。それが論理的であるということです 。(No.45) 論理的であることをやめようよ、という話の流れから。 なにか理由をつけて考えたくなるものですが、理由なく「なんだこれすごいな!」というものも、絶対あるはずです。そういうものって、実際にすごいものそのものに触れないと忘れがちな気がします。反省。 「尊敬 」はあくまで 、コミュニケ ーションコストを下げ 、周囲の人々の成長をうながす 「ツ ール 」です 。(No.217)  尊敬に限らず、人との関係や立場全てに言えることかもしれません。尊敬されたいとか認められたいとか、そういうものは、その先にやりたいことがあった向こうの話。尊敬を得ること、認められること、それ自体が目的ではない。 安定なんて 、だいたいウソですし 。変化こそが面白いんですよ 、人生というのは 。(No.257) 安定を求めない、というのはイケダさんに限らずいろんな方が言っていますが、安定は停滞なんですよね。不安定なところから安定に向かっていく動きがおもしろいのですな。 続いて、「イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?」から。 変な話ですが 、ぼくは人間には自由意志なんてものはないと考えています 。ぼくらは常に 「土壌 」の影響を受ける 「果実 」のようなものです 。あなたがすばらしい人間であるとしたら 、それ...

メモ:「マンガでわかる音楽理論」は、倍音の話がわかりやすいよ

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ちょっと前に読みました。 (記事にしようとほったらかしにしていたけれどあまり進まないので、ほぼメモ書きのまま載せます) マンガでわかる音楽理論、といってどこまでのことを説明してくれるのか?と思うのですが、内容はだいたい音階や音程についてのことです。リズムとかはありません。 純正律と平均律の違いについて、 平均律は「1オクターブを12等分」だとわかっている人は多いと思うのですが、 純正律がどういうしくみなのかは、あまりわからない人って多いと思うのです。わたしもです。この本では、倍音から音階を説明しているので、ああなるほどそういうことか~と思いました。

理解してほしいと思わなければすこし楽になるのかもしれない

大学の後輩さんたちがSNS上で、音大じゃない人に自分たちが何をしているのか勘違いされることが多い、それが嫌だ、という話をしていました。 私も、そういう葛藤に悩まされていた時期があり、理解されないことはしんどかった。 今はちょっと違って、相手の勘違いに腹を立てることは少なくなりました。 かといってそこで後輩たちに自論を展開してドン引きさせるのもどうかと思ったので、こうして文章として書くきっかけを後輩さんたちが与えてくれたことに感謝しつつ、ここに自分の考えを書いていきます。今思っていることです。 理解されないことってつらいけど、理解できない側はどういうものなのでしょう。 わたしは、自分が世界中のどんな出来事も即座に理解できるという自信はないです。 理解しようとすることって、少なくとも「共感」ではない限り、その人の考え方を変えたり、考え方の引き出しを増やしたり、新しい知識を身に付ける行為です。 わたしは、そもそも興味を持たないとそういうことができないです。 誤解しないでほしい、理解してほしい、と思うならまず興味を持ってもらわなければいけない。理解してほしいと思うなら、興味を持ってもらうこと、正しい知識を与えること、両方の労力をある程度はこちらで持つものではないのでしょうか。 だから、今は、さほどその人にとって大きな違いがわからないことがらで、勘違いされていても大きな問題がないことは、その場ではうなずくことにしています。何度か聞かれたり、質問されたりするときは、興味があるだろうと思うので、そういうときは少しずつ説明します。細かいところまで理解してほしいと思わなければ、誤解にぶつかってもさほどいらつくこともなく、ちょっと楽です。 それから、こうやって理解されない場面に出くわしたときは、自分も理解していないことが多いことに気が付くきっかけだと思うことにしています。理解されなくてもいいから理解しなくてもいいのではなく、自分も理解を広く、深く持ちたいものです。おわり

「音楽による即興表現」

ON-KEN SCOPEに掲載されている、藤原嘉文さんによる即興に関する記事がおもしろかったので読んでいました。 http://www.yamaha-mf.or.jp/onkenscope/fujiwarayoshibumi1_chapter1/ 第一回、第二回は、即興演奏の種類と特徴と分類。 即興なんてできないよ~!と言ったり聞いたりするけれど、そういう方の大半がどういう即興を思ってそう言っているのか、そもそもそこで何をやっているのか、よくわかっていないはずです。 というのも、単に即興といっても、「ジャズのアドリブソロ」と、カデンツァでの即興演奏(それはファジーバードソナタのような現代的な即興を求められる時も同じです)は、即興で演奏しているということ以外はかなり違いがあります。 ジャズのアドリブは、ある程度リズムやテンポなどの縛りがあり、複雑な曲であれば、機能和声を理解していなければなりません。 カデンツァは、音列の指定があったり、まれに演奏時間だったり特殊奏法を使うような指示はあるものの、テンポやリズムの指定はないことが普通です。複雑な機能和声がわかっていなくてもできます。ジャズのアドリブソロに比べて自由度が高いです。 第三回から第五回までは、即興をどう取り入れるかという話。 わたし、説明を見ていてもよくわからんのですが、実践例を聴くと納得です。 はじめの、骨格音からはじめていくのは特に。曲の分析で非和声音がどれか、それがどの非和声音なのかを考えますが、これを逆の手順でやっていることが解析なのだな~…と思いました。おもしろいです。 ・・・・ ところで、このON-KEN SCOPEというサイト。今回読んだ記事も第一回目は2013年で、特に新しいサイトではありません。今回初めて知ったのか今まで見かけても興味を持てなかったのか…今まで知りませんでした。 ここでは、それぞれの分野の専門家の方たちによって、音楽をとりまく様々な研究の記事が書かれています。なかなかとっつきやすく、わかりやすいです。

挨拶と接客用語

フランスでおよそ1年過ごしてから、日本に帰ってきて数日。 フランスではレジ打ちの人、駅や電車でちょっとぶつかりそうになった人、道ですれ違う時に目があった人にも、ひとこと、挨拶をするのがふつうでした。 でも、日本ではそういう、赤の他人と目を見て挨拶をすることがない。一年前までは日本で暮らしていてこれが普通だったのに、なんだかとても違和感があります。 (しょっぱなからこんなことを言っている私も、もともとは挨拶が出来ない人でした。今もまだ、上手に挨拶が出来ないことが多い。フランスに来てちょっと挨拶できるようになってきたので、この調子で喋り下手も克服できたらいいのですが) フランスだとどうなのか、というと、店員さんはちゃんと目を見て挨拶してくれます。わたしも目を見て挨拶します。 お店に入ったらまず Bonjour.お会計するときもレジ打ちさんとBonjour.会計が済んだらMerci.Au revoir Bonné Journée.(ありがとう、さようなら、良い一日を!) というような、口に出す内容はおおかた決まっているのですが、こんなあいさつをします。 で、挨拶をしない人が不審。 日本でも店員さんは挨拶するよね?と思われるかもしれません。でも目を合わせなくても聞こえてなくても、一方的に唱えれば、形式的には良しとされます。 日本には接客用語がある。これが、一方的な言葉だからやりとりが成立しにくい要因かもしれません。 いらっしゃいませ!と言われたら、なんと返せばいいの? ありがとうございましたーまたお越しくださいませー!と言われたら?返すのは「ありがとうございました」でいいのかな? はじめからお客さんが言葉を返すことが想定されていない言葉。やっぱり、「お客様は神様」なんですね。 お客様は人間じゃないし、福の神かもしれないし疫病神かもしれない。人を人だと思わないことで、お互いに傷付くこと避けられるのかもしれません。 日本人は知っている人には親切です。親切すぎるくらい。だから、知らない人のことは割とどうでもいい。 どうでもいい人とのやりとりを形だけでも丁寧にするために、接客用語があるのかもなあ。 とはいえ、形式だけの無駄な丁寧はむなしいものです。コンビニの店員さんのすごい早い手さばき、って必要...

サウンドペインティングってなに?

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フランスのGapという町で行われた講習会で、サウンドペインティングのアトリエ(ワークショップ)に参加しました。 講師は、即興演奏家のヴァンソンレカンVincent Lê Quangさん。自分含めサクソフォニスト10人のグループで取り組みました。8日間のアトリエで、実際に音だしをしながらサインを覚え、3度の演奏会でサウンドペインティングによる即興演奏を披露しました。 上の写真も下の写真も、実際に私たちが演奏した時の写真です。とてもたのしかった! この記事では、サウンドペインティングがどんなものなのか、私が書ける限りの範囲で書いていこうと思います。 サウンドペインティングとは 指揮者(サウンドペインター)が、サインを用いて即興で作曲をする演奏形態。共通のサインによって、集団で演奏をする即興演奏です。 音楽家のみならずダンサーや俳優など、リアルタイムでのパフォーマンスに使うことのできる方法で、それぞれ専門的なサインがあります。今回私たちが覚えたのは、演奏をする人のためのサインです。 どんなサインがあるの? サウンドペインティングの基本となるサインの実演をした動画がありました。こんなサインをつかいます。(本当は自分で絵を描こうと思ったのですがわかりにくすぎてやめました…) サインにはそれぞれ「誰が」「何を」「どのように」「いつ」行うのかを示すものがあります。 たとえば、全員で低音のロングトーンをメゾフォルテで演奏するときは? 「誰が」…全員なら、両手を頭の上で囲んで大きな丸を作る。 「何を」…真ん中の音域なら胸の前で、両手を使って線を引く。 「どのように」…腕で音量のフェーダーを示して、音量を指定する。メゾフォルテなら真ん中。 「いつ」…いまやるなら、立っている場所から一歩踏み出して、両手で「プレイ」のサインを出す。 という動作を示します。 「何を」やるのかというサインには、ロングトーンの他にも  ・ポインティリズム(ランダムにポイントになる音を散りばめていく) ・ミニマリズム(フレーズを繰り返す) ・ヒット(短い音を出す・その後はロングトーンやミニマリズムなど続けていたものに復帰する) ・ヒットオフ(ヒットをして、続けていた...

リードの扱い方について

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どんなセッティングで演奏しても自分の演奏が出来る状態がいいんじゃないか?という自論の奏者さんがいらしゃったので、私もそういう考え方に影響を受けて、リードは特別なことをしなくてもそこそこ吹けるようにしよう、と心がけていたのです。 ところが、最近はあまり長持ちしない状態が続き、何とかしたいと思っていました。 アマチュアの方で、自己流のリードの管理を教えてくださる方もいらっしゃいます。とはいえ、根拠もよくわからないものもあり、その方法で上手くいくのは人それぞれではないかと思っていました。 私自身も、リードを冷凍したり温めたり、そういう変なことも試したことはありますが、そういうことがいつでもできて、たとえ上手くいってもどこでも出来るわけじゃないですからね。 迷ってくるとそういう意味不明な方向に走りがちなので、普通に無難に扱う方法を知りたいと思いました。今日は、無難な情報のありかをここに書いておきます。 プロの奏者のみなさんは、リードをどう管理しているのか リードについて書いてあった本を読みました。こちら。 ■ サックス・リード大全/サックス&ブラス・マガジン この本の前半はサックス奏者の方の対談や、メーカーごとの紹介など。オーソドックスなメーカーにとどまらず、プラスチック製のリード各メーカーまで。 後半には、プロの方のリードの管理について書かれています。日本のプロのサックス奏者100名のリードの扱い方が詳しく書かれており、うち78名がジャズ・ポップス系で、残り22名がクラシック奏者です。 おもしろいのは、ジャズ系の奏者の方はなんだか凝っている方が多く、クラシック系の方は「特別なことはあまりやっていない」というような方がちらほらいらっしゃること…。 「リードの裏側を磨いてつるつるにする」というのは根拠がよくわからないけれど、実際にやっている方がたくさんいるならちゃんとやってみるのもありかな、と思いました。(自分はあまりやってなかった。) 自分がやっていたことでよくなかったこと ダダリオのホームページに、リードのことが書いてあるページがあります。 こんなページがあるとはこれまで知らなかったのですが、SNSでシェアしていた方がいらっしゃり、私の元にも流れてきました。あり...

ラジオ番組Clasic Clubより、Gaubertほかサクソフォン作品の特集。

フランスのラジオ局France Musiqueの、6月6日に放送された番組Clasic Clubの特集Le beau saxのアーカイブのご紹介します。私の師匠でもあるニコラプロストNicolas Prost氏が出演しています。 (私も聴こうと待機していたのに、接続が悪かったがために聞けなかったのですが、探してみつかったので喜んでいます) フィリップゴベールPhilippe Gaubertの詩的哀歌Poéme Elegiaqueが、途中まで聞くことが出来ます。ここで流しているものは、今年の5月に録音したばかり、CD発売前の録音です。あまり知られていない曲ですが、ドビュッシーの狂詩曲などと同じエリザホールElise Hall夫人のために書かれた作品です。ゆったりとしていて、純粋に旋律の掛け合いが美しい曲です。 iTunesのポッドキャストでも聞くことが出来ます。 https://itunes.apple.com/jp/podcast/classic-club/id1037705297?mt=2&i=100038623

一時帰国しています

日本に一時帰国しています。 私も、こういう個人的な内容の事はこのブログには書かなくてもいいな、と思っていたのです。 ですが、なぜそれを今書いているかというと、一日一度更新しようと思っていたのにもかかわらず既に更新できない日が増えているからです。 なぜ更新できないのかというと、このブログに使っているGoogleのアカウントがログインできなくなっているからです。 なぜログインできないのかというと、フランスを出国してしまったがため二段階認証をするために使っていた携帯電話のSMSが使えないからです。 Googleは何度も私にバックアップコードを取得したほうがいいよと知らせてくれていたのですけどね。しかも、ブログではなくメールに使っているアカウントはSMSではなく認証アプリを使っているのにね。 スマホのブラウザはログイン状態になっているし、メールを使っても更新できるのですが、私は よく分からないなりにも埋め込みタグとかを使いたいし、 パソコンから逐一プレビューしながら書きたいのです。 そのくせにパソコンのブラウザは常にプライベートビューイングになっていてログイン情報が保存されていないのです。本人の証明が出来ない限りログインできないGoogleのセキュリティの厳重さに感動しているし、自分の馬鹿さ加減にあきれています。なんてこった!! …というわけで、いまはそういう感じなのです。めげずに、そういう感じでもかけそうなことを書いていきたいと思います。めげそう…

指の雑音を取り除くこと

私はサックスを吹いています。これは今まで色々な先生にのアドバイスを受けたり、自分と同じレベルの学生の演奏を聴いたりして、考えてきたことです。ここに書いたことの大半は、私の疑問に答えてくださった先生方の受け売りです。ありがとうございます。 最近、すこし自分の中で噛み砕くことが出来たので、ここにまとめて書いておきたいと思います。 指と音色の関係について サックスで指がうるさい人は音色もきれいではないと思います。 理由はふたつ。 1.体の使い方が良くないことのひとつの結果として、指がうるさくなっている 2.管体の中で雑音が混じる ひとつめ。体の使い方が良くないことについて。 必死になって速いパッセージを演奏しているとき、陥りがち。 指を速く正確に動かすことに意識を集中させるあまり、姿勢が崩れたり、呼吸が浅くなったりします。 腕、肩、首など体中がガチガチに固まっている状態では、結果として指がうるさくなります。 呼吸も浅く、あちこちに無駄な力が入った状態で、きれいな音色を出すことができるでしょうか? ふたつめ。管体の中で雑音が混じることについて。 楽器を吹いて音が出てくる場所はベルだけではありません。音孔からも音と空気が出てきます。 サックスは他の木管楽器と比べて、音孔とタンポの大きさが大きめです。タンポが大きい分、音孔を塞く抵抗も大きいです。 キーの騒音が大きいときは、必要以上の力と勢いでもって打撃音が発せられている状態です。 吹奏音が出ている場所を、勢いよく塞いで打撃音が発せられると、双方の振動がけんかしている状態になるのではないでしょうか。 つまるところ楽器の内部に雑音が紛れ込んでいるわけです。 スタジオで録音するときは、極力、部屋の内側の雑音を減らします。楽器の内側でもそれを気をつけようということです。 改善策 まず、体の使い方をよくしていきましょう。 体の使い方については私も専門外なので、どうにかしようと思われた方は何かしら本を読んでいただくとよいと思います。 歌の先生のレッスンを受けることも、とても勉強になります。私はアレクサンダーテクニークのレッスンを受けたりして、自分の体についてちょっと理解を深めたつもりです。 体から無駄な力が...

日々の失敗を書きだしていく記事(2017年7月)

図書館に本を返しそびれた スタージュに行っている間に返却期限が切れてしまうので、 借りた本を返しに行こうと思っていた。急いで向かったけど、 開館時間に間に合わなかった。図書館まで出向く往復約 2時 間の無 駄遣い。 ・図書館にいたガーディアンさんに事情を説明したら、 図書館に電話をすれば延長してくれるということを教えてくれた。 ・ 読み切ってないけど返さなきゃいけない本を読み切って返せるから 結果的によしとする ・焦っても急いでも電車に乗る時間を短縮することはできない。 基本的に電車は遅れるけど、急いではくれない。 ・ そういえば日本で普通に使っていた図書館の返却ポストって便利だ ったなあ。 家の鍵を忘れた 図書館の日と、同日。 わたしの借りているアパートは、 集合玄関も個人の玄関もオートロックなのだけど、 鍵を忘れて出かけてしまった。 こんなときのためにお隣さんが鍵を預かっているのだが、 そのお隣さんが休暇中で留守だった。 ・大家さんに連絡したら「明日行くから!」と行ってくださった。 (やさしい)でも、 どうしてもその日のうちに入りたいと話したら、 鍵屋さんを頼んでくれた。鍵屋さんは15分で来てくれて、 5分くらいでサクッと開けてくれて、 最初に提示した金額よりだいぶまけてくれた。 ・もうこりごりなので、鍵を忘れないように、 カバンに縛り付けることにした。 いつも鍵と定期券を部屋の中でもなくすので、 良いきっかけということにして、結果的によしとする ! 鍵代はかか ったけど勉強代である。めでたしめでたし。 買い物しようと町まで出かけたら、到着が閉店時間を過ぎた ・ どうしても欲しいものがあって買いに行こうと出かけたのに間に合 わなかった。お店まで出向いた往復 2時 間の無駄。 図書館と同じことを繰り返してしまった。 ・そもそも「いま出かけても間に合わない」 と気がついた時点で行かないっていう選択をするべきだと思った。 ・ そもそも間に合うように出かけられるスケジューリングをしなけれ ばならない。 ・まあこれがなければ出かけなかっただろうし、 出かけなかったら運動不足になるだろうしということで、 たくさん歩けたし結果的によしとする。 ・今回ではないけど、 閉店時間に間に合ってもギリギリ...