Posts

Showing posts from July, 2019

サティの家に行った

Image
この前の日曜日。 フランスのノルマンディー地方、オンフルールまで行きました。 海辺のちいさな町です。 この旅の目的は、サティの家に行くこと。 作曲家の住んだ家は、その人の私物などを展示するための、博物館になっていることが多いです。もちろん、何にもなっていない場所もあります。サティが住んでいたパリのモンマルトルの家も、プレートが出ているだけで中に入ることはできません。 オンフルールのサティの生家は、ちゃんと中に入れます。 でも、ここは博物館とは違いました。 いうなれば。ここはサティの人となりを表現するための、インスタレーション。 ヘッドホンでサティの書いた曲を聴きながら、家の中を歩き回る。 サティの作品や逸話にちなんだ展示が、次々と来館者を迎える。 ここは、彼の芸術を展示するための場所。 そんな場所があったということ、彼の芸術を表現するために尽くした人たちがいること。 わたしはそれが、泣くほどうれしかったのでした。 サティの暮らしたパリにいても、サティを感じることは少ないです。 そもそもサティの曲が演奏される機会は、多くないのです。 (一番サティを感じたのは、 ニュイブランシュでのサティのピアノ曲全曲演奏の演奏会 でした。あれは大変クレイジーでした……) フランスでのサティの立ち位置は「聞き心地のよい易しい曲」というあたりなんだろうな、と思いました。 フランス音楽にとって重要な存在であっても、一人で取り上げるほどでもない、とでも言いたげな。日本でもそうであるように。 うーん、まあ、そうですよね。 ピアニストさんが必ず通るような曲もないし、交響曲も書いていない。 それでも。 わたしはサティが好きなのです。 自由で、ちょっぴり前衛的な精神を持っている、サティが好きなのです。 彼の音楽が、文章が、生き方が、わたしは大好きなのです、 サティの家は、サティの哲学を、しっかりと感じられる場所でした。 うまく汲み取って、そっと切り取って展示したような場所でした。 それがとてもうれしかったです。 サティという存在を、こんなふうに表現しようとしている人がいるのです。 フランスの端っこではこんなふうに尊重されて、愛されているのです。 こうして受け継がれていくのです、彼の生み出したもの...

毎日があっという間に過ぎて行く、

Image
レストランでの接客のバイトを始めてから、4ヶ月ほど経ちました。 働いていると毎日が楽しいです。 わたしの働いているお店の料理は美しくて、味も美味しいです。 自分がよき料理を提供するためのひとつの力になっているのは、本当に光栄なことに思います。 お客さんと料理を繋いでいるような、いい時間を演出するような感覚はあって、それがとても、楽しいのです。 わたしにとって接客の仕事はとても難しく、能力が足りていないことは重々承知です。 いつも、もっとこうすればよかった、これができればよかった、なんて反省だらけで。それでもほんの少しは、お店の力になっているだろうことは、嬉しいのです。 *** この2週間ほど、ほぼ毎日働いていました。 働くことは相変わらず楽しいのですが、危機感もあります。 帰りの電車を、寝過ごしたり。 帰ってきてからの時間は、ほとんど何もできなかったり。 出勤前だって、なにかをこなすことはできなかったり。 このままでは、仕事が生活の中心になってしまいそうです。 夢中になれることがあればそれでいい、なんてわけではないのです。 わたしは、接客を生涯の仕事にするわけではないのですから。このままでは、数か月先、何年も先の自分が、あの時もっとこうすればよかった、と思う姿が目に浮かびます。 自分が大切に出来ることの量は、たぶん限られていて、そんなに多くはありません。 だから、大切にしたいことを本当に厳選する必要があると思いました。 そして、それを死守しなければならないのです、自分の手で。 朝目が覚めたら、けろっとすべてが変化しているなんてことは、ないのです。 *** と、まあこういうことを思うと、思い出すある音楽の一節があります。 歳を重ねるほど、奇跡は突飛もなく起こるものではないことを、身を持って思い知ります。 同時に、まだこの手で何かを起こせるかもしれないということに、希望を抱いたりします。希望、希望、 「明日やろうはバカ野郎」なんて言葉がありますが、本当にそれだ、大切なことだけは毎日ほんの少しだけでも前に進めてから、眠りにつきたいものです。おやすみなさい。