サティの家に行った

この前の日曜日。
フランスのノルマンディー地方、オンフルールまで行きました。
海辺のちいさな町です。


この旅の目的は、サティの家に行くこと。

作曲家の住んだ家は、その人の私物などを展示するための、博物館になっていることが多いです。もちろん、何にもなっていない場所もあります。サティが住んでいたパリのモンマルトルの家も、プレートが出ているだけで中に入ることはできません。

オンフルールのサティの生家は、ちゃんと中に入れます。
でも、ここは博物館とは違いました。

いうなれば。ここはサティの人となりを表現するための、インスタレーション。

ヘッドホンでサティの書いた曲を聴きながら、家の中を歩き回る。
サティの作品や逸話にちなんだ展示が、次々と来館者を迎える。

ここは、彼の芸術を展示するための場所。
そんな場所があったということ、彼の芸術を表現するために尽くした人たちがいること。
わたしはそれが、泣くほどうれしかったのでした。



サティの暮らしたパリにいても、サティを感じることは少ないです。
そもそもサティの曲が演奏される機会は、多くないのです。
(一番サティを感じたのは、ニュイブランシュでのサティのピアノ曲全曲演奏の演奏会でした。あれは大変クレイジーでした……)

フランスでのサティの立ち位置は「聞き心地のよい易しい曲」というあたりなんだろうな、と思いました。
フランス音楽にとって重要な存在であっても、一人で取り上げるほどでもない、とでも言いたげな。日本でもそうであるように。


うーん、まあ、そうですよね。
ピアニストさんが必ず通るような曲もないし、交響曲も書いていない。

それでも。
わたしはサティが好きなのです。
自由で、ちょっぴり前衛的な精神を持っている、サティが好きなのです。
彼の音楽が、文章が、生き方が、わたしは大好きなのです、

サティの家は、サティの哲学を、しっかりと感じられる場所でした。
うまく汲み取って、そっと切り取って展示したような場所でした。

それがとてもうれしかったです。
サティという存在を、こんなふうに表現しようとしている人がいるのです。
フランスの端っこではこんなふうに尊重されて、愛されているのです。


こうして受け継がれていくのです、彼の生み出したものは。
うれしい。残す価値のあるものなのです、よ。おやすみなさい。