11月26日、ジャズの本番だった

できなかったことができるようになると、どうせいつか、できなかったことすら忘れてしまうので、さらっと書いておく。

昨日ジャズの本番があった。学校でアメリカ音楽のイベントみたいなものが行われていて、そこで、ジャズのクラスのみんなと一緒に演奏させていただいた。

4曲だけ、時間を空けて2回、同じ曲を演奏した。4曲だけで、1時間くらい経ってしまう。その場にいるとそんな体感時間じゃなかったんだけど、時計を見て驚く。
2回とも同じ曲なのに、全く違った感じになる。こういうことをやってみるとやっぱり、ジャズは生ものっぽいと思う。

自分のアドリブソロ以外は、聞こえたものに寄せる、ということに徹していたのだけど、それがたのしかった。
管楽器のフロント4人で、たまに先生が入って5人で、テーマをはもったり、はもられたりする。みんなが一斉に、ぐちゃぐちゃにアドリブをしたりする。
いつもおしゃれにはもってくれる子がいて、すてきだなと思う。たまに、そうくるか!?と思う音をぶつけてくる。楽しい。
やっぱり、ジャズに限らず即興演奏は「聞いて寄せる」がミソだ。でも、ただ寄っていくんじゃなくて、わたしももっと、強引に寄せられるようになりたい。まだ会話になっていなくて、今はただ同調しているだけだ。わたしの答えをきちんと返したい。

みんなソロが上手だ。わたしはへたくそだ。
コードを追いかけて、調を追いかけて、そういう処理をその都度やっている。効率が悪い。すぐ間違える。難しくない曲のはずなのに、知ってる曲のはずなのに、全く追いつけない。 だからもっと深く知らなきゃいけないな、と思う。

あと、手癖で吹くのをやめたい。 みんな、すさまじい量のフレーズがあふれだしてきて、すごい。頭の中どうなってるんだよ。ぜんぶ手癖なのかな。だとしたらすさまじい量の手癖だな。

ちょっと前に、経験が少なくても人前で演奏することが上達の近道だからね、というようなことを、ジャズの先生が言っていた。 ジャズの本番に出させてもらうのは、昨日が2回目だ。
たしかに、本番の緊張感の中でハッとさせられたりすることは、音楽のつり橋効果みたいなものを感じる。音楽の内容だけじゃなくて、そこにいる人の、その時の体調や気分が垣間見えて、それがいつもより強くあたまの端に引っかかる。
わたしは他の人たちよりへたくそだ、へたくそだし恥ずかしいとも思う。でも、受け入れられてもらえるうちは、甘えさせてもらうつもりだ。わたしも成長して返したい。