死んだ……

死んだのはHabiticaの話です。ゲームです。私が死にました。これが初めてではありません。

ちょっと諸々の理由で日課ができておらず、ダメージを受けてあっけなく死にました。
「ああ~やったのにチェックし忘れていたから、チェックしていたら死ななかったのにな~!アプリから見てるとチェックしてもされずにダメージ受けることがあるけど、これは接続の問題だからHabiticaは悪くないよなあ、接続ちゃんとしてくれよ…戻すにも戻せないしなあ、戻せるのは分かってるけどそれはそれで違うよなあ」とか考え出すととにかくたくさん思うことがあり、とても悔しいのです。

今まで2度も死んで、たとえ日課ができなくても回復の薬を買って気を付けていました。
のくせに、日課をこなせない事情があるときもロッジで休むという手段に踏み込めない自分がいたりして、なんでなんだよ、と自分を責めたり。
と、ふと、わざわざゲームごときでなにムキになってんだよ、と我に返ったり。

たかがゲームなのに頭の中が大忙しです。


ゲームですらロッジで休めない、というのは、非日常であるということを認められない、というだけのような気がします。

「非日常の時でも日常を維持する」というのがかっこいいと思っていました。でも、それが成り立つのは、その人が自分が非日常に置かれていることをちゃんと認識しているからです。「自分の状態を自分で把握できていない状態で形だけ日常を維持するために躍起になる」というのは間違いではないかと、気付きました。

いろいろな素敵な人たちの習慣を見ていると、わたしもそうしたいという気持ちになります。でも、なにがどうして素敵なのかというところを掘り下げないと、ただ自分をなじるだけになってしまいます。
素敵な部分、理由を考えたうえで、それを踏まえて、自分にぴったりのアイディアなのか考えていきたいです。気を付けます。

生活にまつわるいろいろなことを日課のチェックリストに入れているので、Habiticaのライフゲージが、実際の心のゲージにも見える、ということにも気が付きました。ほんの一日気を抜いただけで死ぬことはないのです。日々少しずつできないことの積み重ねが、死に繋がっているだけのです。

死んだときは日課の見直し時だと思うので、無理な日課を消してまた生まれ変わります。おやすみなさい。