アドリブについての、ちょっとした気付きの覚書

成長というものはある道を進んだり戻ったりの繰り返しなのでしょう。なんだか、同じ道を何度も行ったり来たりを繰り返している気もしますが。

ところで、先日ちょっと気づきがあったので、それを書いておきたいと思います。
感覚の変化が書かれている以外の価値がないです。たいそうな内容ではなく、わざわざ文字にしてもわたしのできなさが晒されているだけのものです。すみません。



ジャズの授業をとっているのですが、その授業でのことです。
アドリブをやったとき、全然理解していないのにスラスラと演奏したいことが思いつくコード進行がありました。
何度繰り返しても同じものばかり吹いているわけではなく、ちゃんと、次はこうしよう、次はこうしよう、と決められました。不思議でした。 そういう感覚になることって、モーダルな曲以外ではあまりなかったのです。

吹きながら思い当るところがありました。それは日常的によく聴いているCDに入っている、とある曲と同じコード進行だったのです。

それは留学の際に餞別でいただいたCDだったので、聴いていた期間は1年ほどです。しょっちゅう聴いていたために、そのフレーズをだいたい覚えていて、 それをごまかしたフェイクみたいなことをやっていたのです。

全調で練習しようと言うのは、この感覚を12通り用意するということなのかな、とぼんやり思いました。いや、全調で練習しなければいけないことなんて、百も承知なのですが、なにか、感覚が追いついたことや、必要性がわかったことがうれしかったのです。

いい音楽を聴いて、自分の感覚をきれいなものに合わせて整えていくことは、気持ちの良いことなのかもしれません。「これを聴くべき」といわれるものにときめくことができなくても、自分を責めなくていいのかもしれません。入り口がどこであれ、すべてどこかでつながっているわけで。
周りの人よりも歩みはゆっくりですが、わずかにでも何か前に進んでいるのかもしれません。
そんなことを思いました。おやすみなさい。