2017/12/10

2017/12/10
受験の願書をそっと消す。ワンクリックで。数ヶ月前のわたしが今のわたしの姿を想像できただろうか。本気を出せば1ヶ月で人は変われる、とはいうものの、変われない1ヶ月が何度も繰り返されました。ごめんね。

この、やる気のなさの根の深さ、すごく深くて、芋掘りみたいに、掘っても掘っても何か出てくる感じ、気持ち悪くて、なんだか。やる気を出そうとするほど、そのエネルギーは気力のなさに掛け算されて、どんどんマイナスが増幅されて、どんどんだめになっていく自分、おいおい、
芋掘りは大好きなんですけど、何年もやっていない。畑仕事してえよ。

こんな状態では、何もできない。何もできないと決めつけているから何もできないのか、何もしたくないから何もできないと決めつけているのか。どうせ後者だろう。わたしはどうせうまくはならない、みたいな、全て捨てて楽になりたい諦めと、わたしはどうせ信頼がない、誰からも必要とされない、みたいな、過去の自分への恨みで、将来の希望が持てない。必要とされないなら必要とされる人になればいいんだよ、みたいな反論が頭の中で沸き起こりますが、そういう、感情をねじ伏せる呪文みたいなものに、ちょっと頼り過ぎた気がします。共感をするとわかった気になりやすい。自己啓発ばっか読んでるお前は誰なんだよ。

自分が昔書いたブログの一部を消す時にバックアップを取っていた、それを読んだけど、人に勇気を与えられる人になると書いてあった。お前は強いな。それに比べてわたしは。ああ、同じ人だったな。とても人に見せられる文章でもなく、恥ずかしいのだけど、恥ずかしい文章を恥ずかしげなく晒すということをしないと誓ったのはそう遠くない日のはずなのだけど、結局今も既にこうやってだらしない言葉を並べて、同じことやってる

誰かに哀れんで欲しいわけでもなく、心配して欲しいわけでもなく、でもわたしはこれから強くなるときめたので、こうやってぐしゃぐしゃな自分も記録として残しておきたいのです、みたいな強がりで盛大に弱る。そうして汚い文章を書いて、晒して、ださい自分こそ美しいと、酔うわけです。酒と一緒じゃねーか。

先生にメールしなきゃいけないのにしていない。しない。しなければならない。したい。何故かくたくたで、理由も話せずに、泣く姿しか見せることができず、嫌だ、泣きたくて先生に習ってるわけじゃないのだから、そろそろ、元気な姿を見せたい。いつもより。いつも以上に。成長したね、って言ってもらうのは嬉しかった。誰かがそれを依怙贔屓なんだと言っても 。