月曜日!引き続き、やり過ごしただけでえらい曜日です!— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月11日
朝ご飯食べたからえらい!食器も洗ったからえらい!薬も飲んだし水分も摂ってえらい!シャワー浴びて髪乾かしてえらい!一日の予定を確認してえらい!たぶん致命的に足りないことも沢山あるけど総合的に150%えらい!でかける!いってきます!
あーーーよく頑張った!ダメダメだけどそれに囚われずに大変よく頑張りました!昨日よりも今日のほうが頑張った!この調子でこの後も明日も明後日も頑張りたい— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月11日
能力主義だか実力主義だかなんだか知らないけど、今日わたしが頑張っていることは変わらないしなんとか生きているから偉いことは間違いないです!!ありがとうございます!!— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月11日
ついでに偉いことに理由なんていらないし、わたしだけじゃなくてみんな偉いです!たいへんよくできました!!💮💮💮💮💮💮
重大なミスをしでかして直ちに修正しなければならないことをに気が付いて嫌悪感でぐるぐる巻きになっても、そこに気が付くことができた自分は褒めなければならぬ!!えらい!!えらいよ!!!!気が付いたことがえらい!!ほんの一歩だけでも前に進んでいることがえらいし続けていることはえらい!!!— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月12日
感情は正負一直線の横並びで価値が決まるものではなく、それぞれが立体的に存在していて、それぞれが独立した価値を持って、それぞれが影響し合っていて、それぞれに必要があって生まれてきて、どれかひとつを消すこともできないし、難しくて、雑多で、複雑で、だから美しいのではないでしょうか、— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月12日
「えらい!!すごい!!よくやった!!頑張った!!」みたいなことを言っていると、負の感情を押し殺しているみたいな違和感もあるのですが、そうじゃなくて。負の感情も正の感情と同じように、抱いたことを肯定していい感情で、何処かに隠してなかったことにする必要は全くないのでは?という話です…— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月12日
(授業についていけないとか、やる気を起こせないとか、そういう) これまでだらだら過ごしたしわ寄せみたいなものは確かにあるのですが、総合して元気です。なにはともあれ「えらい!」とか「かっこいい!」とか、そういう褒め言葉は理由があってもなくてもいいので、なくても沢山使っていきたい所存です。この世に存在しているだけで誰もがお偉いさんですよ。生きているだけで誰もが誰かにとってかっこいい存在であることは変えられませんからね。本当にね。— オーノサエ (@sae_ono) 2018年6月12日
それはつまり?「元気という属性に属しているわたし」ではなく、「憂鬱な部分も含めてわたし」という感じがあります。
昨日からやたら「なかったことにされちゃうよ」っていうのがひっかかっています。それは大森靖子さんの「音楽を捨てよ、そして音楽を」という歌詞の一部なのですが。
この歌の文脈とはだいぶ違う感じで、「なかったことにされちゃうよ」の一節がとても引っかかっています。抱いた負の感情も、鬱でやる気が出なかった数か月も、残さなければなかったことになってしまう。
憂鬱をやたら書き残す自分は狂気じみているような気もしますが、辛いことを踏み台にして楽しみを手にしたと主張することも、憂鬱を無視して楽しかったことだけを切り取ることも、同じように狂気じみているような気がします。
書き残さなければ、なにもかもなかったことになってしまうのではと思って、あれこれ書いています。なんだかすっかりブログ書かなくなってしまったけど、こうやってまた日記みたいなものを書いていきたいです。毎日ブログを書ける人はすごい。