クラオタにはなれない、それどころか

たとえコンサートをたくさん聴きに行ったところで、音楽に詳しくなれるわけじゃないんですよね。という話。

大学生のときの先輩が、クラシックが大好きで、楽器が大好きで、いつも楽器をさわって、いつも面白いことをやっていて、すごくかっこよかった。わたしも先輩みたいにクラシックに詳しい人になってみたかった。でもならなかった。

クラシックを専門にしているはずなのに、サックスの界隈の曲しか知らない自分が嫌だった。それどころかサックスの曲も詳しくない。
変わりたかった、変えたかった。なじみのない分野と自分を結びつけるためには、それをなんとかして自分事だと思う必要があった。そこで選んだ手段が、演奏会に行くことだった。

2018年は演奏会にはたくさん行った。
たくさん聴きに行ったおかげで、何度も聴く作曲家の曲は身近になった。ベートーヴェンを面白いと思えるようになった。興味が皆無だったブラームスは好きになった。

でも行ったというだけで、よかったかどうかも思い出せない演奏会もあった。 たくさん聴けばいいってもんじゃない。殆ど覚えていない曲もある。覚えていない曲が殆ど。



昨日はリヒャルトシュトラウスの英雄の生涯を聴いた。パリ管。
交響詩なんて、物語の内容がわかっていなければおもしろくない。モチーフがわかっていて、物語に沿ってそれが動いていくことがおもしろいのに。

え?英雄の生涯なんて知ってるでしょ? と思った。自分でもそうやって、当然知ってると思ったのに、知らなかった。知らないじゃん……。

覚えていない音楽を聴いても、断片的にしか聴けない。30分もある曲を、最初から最後までしっかり、どんなモチーフが出て来たか、どんな展開をしたか。その場で知ったばかりのものを、その場でしっかり覚えているなんて、できるかな? 無理だ……。

新曲初演でも、知らなくても、楽しめるのが自分のいいところだと思っていた。でも、覚えていたほうが楽しめるに決まってるだろーーーーーーーーーーー!!!



「歌えないなら知ってるに入らないよ」と言われたことを思い出す。
それから3カ月以上たった。
未だに知らない曲がわんさか出てきて、何も変わっていない気がする。

あーーーー!!

そういえば。
それぞれの楽器に推し奏者さんを見つけるのが密かな目標だった。「その楽器はこの人が好き」と言い切れる人が欲しかった。でもまだみつかっていない楽器ばかり。ファゴットとか全然知らない。トロンボーンも全然知らない。ハープも。いやそれ以外の楽器だって、大して知らない。

そういえば。
普段、演奏会以外の場面の普段、べつにクラシックばかり聴いているわけじゃない。ロックも聴くし、ヒップホップも聴くし、ジャズはそんなに聴かないけど、ニュージャズと呼ばれるものを聴いたりもする。クラシックも聴くんだけど、聴くんだけど、いや圧倒的に摂取量が足りないよね。あの録音がよかった、とか言えない。それほどの聴き込みはない。

かといってロックとかヒップホップとかニュージャズのヲタかといわれたらそうでもない。それもちょっと聴くだけ。わたしはなににも夢中になれないんじゃないか?

うわーーーーーーーーーーーーーーー!

先輩みたいになりたいなんて贅沢なことは、もういわない、もういわないけど。けど、この、何にも心を奪われない人生のさみしきことよ。それでも生活は止まらないし、地球は回っていくだけです。今日も明日も生きていきます。おやすみなさい。