プチフォレパリ公演が終わってしまった。まぶたがおかしくなるほど泣いた


楽しみにしていたプチフォレのパリ公演が終わってしまってさみしいです。
さみしい。さみしい。さみしい。

プチフォレは、わたしが日本で長年お世話になっていた小森伸二先生と、その門下生によるアンサンブルです。わたしが大学生のころに始まりました。毎年、年度末に演奏会をやるようになり、今年で5回目です。

わたし個人としては、プチフォレには2年離れています。自分が運営をごちゃごちゃかき混ぜていた第2回目以降は全く関わっておらず、もう知らない顔も多いです。だから、受け入れてもらえないかもしれない、なんてことも、ちょっと思っていました。でも、あたたかく受け入れてもらいました。

一曲、飛びぬけて目立つほど重要ではないけれど、欠けてはいけないひとつのパートを任せていただいたことも、とてもうれしかったです。なんとか迷惑をかけずに(と自分では思っているのですけど!!)終われたの、すごいです。すごい!

わたしはなんでそんな、あたりまえのことにいちいち感動しているのか。思い返してみれば、フランスに留学してから、いろんな悩みを抱えていたんですよ。

まず、意思疎通のむずかしさ。合わせをしても、どういうふうに合っていないのか、伝えきれなかったです。速いとか遅いとか、そういうことしか言えず。
日本語もすごく苦手でした。根本的な自分の会話の下手さは、フランスに来てより一層思い知りました。ごはんを食べに行っても、どこかで会っても、普通の会話ができないことに悩みました。

本番の回数もすごく少なかったです。学生の頃は1か月に何度も人前で演奏する機会があったのに対し、1か月一度も人前に出ない月も沢山ありました。
たまにある吹奏楽の本番ではバリトンサックスという楽器の特性上、簡単な楽譜ばかり。重要なパートは、まだサックスを初めてそれほど技術が身についていない人がやっていたり。わたしは誰からも必要とされていないんじゃないかと思いました。
 
だから、今回みたいに。
意思疎通が難しくない、言葉が詰まっても笑いながら待ってくれたりする、そういうひとたちの中にいるのは、とても、心地よかったです。伝えたいことをあっさり伝えられるのも、やりやすかったです。惰性で簡単な曲に取り組むのではなく、難しい曲に果敢に取り組む姿勢も、心地よかったです。

「誰と一緒に、何をやるか」がこんなに大事なのか、というのを、こんなに、こんなタイミングで、思い知るとは。ずっとずっと、もっと楽しいことが出来る環境を追い求めていました。いまのわたしにとって、それは、名古屋に帰る事なんじゃないか。青い鳥症候群だったのか、わたしは。

そうそう、それから。

留学にまつわるほとんどすべてのこと、いつも人の手助けなしにはなにもできませんでした。いつも迷惑をかけていて、だから、人の役に立てないと思っていました。

それも、思いすぎでした。今回みたいに役に立つ機会があれば、役に立てるよな、と。電車の切符を買うとか、紅茶の香りを和訳するとか、そういうものすごく些細なことが役に立ったりするわけで、もう役に立たずだとか卑下するのは止めようと思いました、


というわけで、
そんな、いろんなことを教えてくださった、プチフォレのみなさんが日本に帰ってしまいました。もう先週のことです。早い。それが、すごくさみしいのでした。
さみしいという感情になるべく蓋をして生きてきたここ10年くらい、蓋が閉められないほどさみしいのは、たぶん初めてではないかな。

みなさんが旅立った翌日、翌々日、先生のほんの数行のコメントや、先輩からいただいたラインのでかい吹き出しを見て、これでもかというくらい泣いたりしました。
常に誰かを見返したくて戦っていたような2年半でした、沢山の「誰か」を見返さずにも、大野の存在をそっと肯定してくれる人がいたのに、いやそれはもちろん知っていたけど、それがどういうことなのか、どういう意味なのか、全く理解していませんでした。

同じ言葉を別のタイミングで言われてもあまり動かされなかったのに、ここに音楽があって、それを一緒にやることでこんなに救われて、わたしは結局音楽しかないのかもしれないと思いました、結局音楽しかない、それは絶望であって希望でもあるのかもしれません、はあ、 

今はとても日本に帰りたいです。べつに「日本で待っています」の一言に、いわゆる「正座待機」的な意味はないことくらい、わかってるんですけど、それでも、やっぱり。でもまだ帰らないと決めたのもわたしです。

金曜日にパリに出かけたとき、一週間前の金曜日とは景色が全く違いました。おやすみなさい。