終わる

毎年誕生日にブログを更新しているのでなにか書こうと思って書いているけれど、内容のない雑記みたいなものしか書けないので期待しないでほしい。散文です。

年々誕生日に対する感覚は変わってきている。
10歳くらいの頃は歳をとりたくない大人をたくさん見てきたから、自分もそうなるんだろうと思っていた。だんだん、歳を重ねるにつれて美しさが増していくような人になりたいと思うようになった。

それから今、周りの人たちが自分をアラサーだと自虐しているのを見て「アラウンドではなくちゃんと数えなさいよ、その年は一回しかないんですよ」などと思うなどする、よくわからない感じになってしまった。

26歳になって、若いとも老けたとも思わず、ただ数字が一つ増えた、そういう認識でぼんやりしている。

26歳、日本国内のコンサートは若年料金で入れない年齢になった。
18禁を飛び越えるより、20歳でアルコール解禁になるより、コンサートの料金設定にあるU25に当てはまらなくなったことのほうが、確実に大きな何かを跨いでしまった。お酒もエロも当時はそれほど興味がなかったのでそりゃそうなのだけど。

不思議なことに、学生という身分を手放して、学生料金を使えなくなったことに対してはそれほどいろいろ思わなかった。むしろ誇りに思う。やっと学生という身分から解放されて、一人の人間として認められているような、そんなふうに思えるのだ。大人になっていくってなかなかうれしいことだ。むしろこんなに長い間こどもの気分でやっていたのか、自分は。

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26歳の誕生日プレゼント、自分へのプレゼントはキーボードになりそうです。1000円もしないキーボード、しばらくはよろしくたのみます。
26年目の人生は、文字を書くことにもう少し重きを置いて過ごします。こういう散文も楽しんでいきたいです。

あと感謝。感謝。生きていることが素晴らしい。26年もよく生きた。途中で自殺とかしなかったし、大きな事故や事件に巻き込まれることはなかった。助けてくれる方がいて、理解してくれる方がいて。とても運がいい26年間でした。ありがとうございます。

これからのことはわからないけど、病気だって事故だって事件だって、避けようはないので来たら受け入れる……だけの強い人になりたい。です。

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 朝起きて思ったことがある。父がまだ寝ているわたしに「誕生日おめでとう」と一言放って出掛けて行った。わたしの頭の中にはある歌詞が流れて行った。


「今年こそ?来年こそ?何年生きれるつもりで生きてきたんだ」

何年生きるつもりで生きてきたんだろう。おやすみなさい。