吐瀉物

今のアカウントを作る前、たくさんたくさん裏アカンウトを持っていた時代。大学用アカウントでしょっちゅう「吐瀉物」とつぶやいていた。
ある方がそうつぶやいていたのを見て真似していただけなのだけど、次第に吐瀉物の3文字に全てをぶつけているような気持ちになった。

「クソ」や「うんこ」「うんち」にはふざけた意味合いすら感じられるのに、「大便」は中途半端に真面目だ。それと同じように、吐瀉物の3文字は、表しているものは汚いのに理性的に発してる感じがあった。ギャップが面白かった。

「クソ」とか「畜生」とか言うのはよくあるけど、それはやりきれない想いだとか、上手くいかないもどかしさだとかを表現するものだと思う。別に言葉そのものの意味は関係ない。発することで発散されるというか、自分の意志で感情を表現している感じになるというか。
そういう言葉と同じように、わたしも何かをかき消したくて、断ち切りたくて、吐瀉物と書いていたんだと思う。

今も上手くいかないことはいろいろある。
上手くいかないなんて当たり前なのにいちいち嘆いてる自分、
そもそも頑張る方向が違いすぎると思う自分、
反応ばかり気にしている自分、
反応が怖くなって続けるのも怖くなっていく自分、
動かない自分、
やらない自分、
とにかく自分が嫌いだ。

自分を肯定しよう! というツイートを下書きに書いている自分も嫌いだ。何が肯定だ。何を人に偉そうなこと言ってるんだ。自分のことも肯定できてないじゃないか。

今も吐瀉物という3文字をツイートしたい気持ちを抑えている。気持ちを抑えても中身が変わらなければ結果は同じだ。おやすみなさい。