舞台『マハルコ組曲』すれ違いと愛の物語に描かれる、現実的なしんどさ

11月30日、名古屋のささしまスタジオで行われていた「マハルコ組曲」という舞台を鑑賞しました。うまく感想がまとまらないので、ブログに書いておくことにします。

以下、本編の内容にも少し触れる部分がありますので、観ていない方や今後見る予定のある方はお気をつけください。



わたしはこれを「すれ違いと、それを取り戻す愛の物語」だと思いました。美しい脚本、物語に引き込まれる秀逸な演出と役者の方たちの熱い演技。大きな拍手をして、あたたかい気持ちで劇場を出ました。感想を見ていると、フィリピンルーツの方たちがご自身の経験と照らし合わせて涙されているのが印象的でした。

でも、この作品はむしろ、非当事者こそが観るべきものです。
当事者の共感と癒しのためではなく、無関係でいられる人にこそ。


「愛の物語」である一方で。

ここで描かれているしんどさの一部は、いまも現実のものであることについては怒りを感じています。現実の日本を生きていく人間として、ただただ悔しく思います。


外国人への差別や偏見。
パブで働く女性への偏見。
パブで働く外国人という立場への偏見。
文化的な差異による衝突。



夜職への偏見としんどさ

夜職を選ばざるを得ない人への、強い風当たりは、ずっとその人についてまとう。働いているときも、そこを辞めても。
そこで働くしか選択肢がなかった、その仕事を選ばざるを得なかった人に対して、想像力を働かせることは、多くの人にとって難しいことなのだと思います。


この作品でいえば、興行ビザで来日したのに、実際働く場所はパブだった、という設定。パフォーマンスは1日3回で、それ以外は接客などを行う…こんな契約、現在の感覚では許されるものではありません。でも、そこで働くしかなかった。
(原作『フィリピンパブ嬢の社会学』では契約やビザが重要な論題になっていますが、そこについては『マハルコ組曲』ではあまり深く触れられていません)


劇中、リオは客だった健司と結婚し、娘の桜を授かります。高校生になった桜はパブの仕事を知らず、リオが半ば騙されて働いていたことも知らない。興行ビザのために厳しいオーディションを勝ち抜いて日本に来たことも知らない。桜は、リオのしてきたパブでの仕事を、いやらしい仕事だとしか思っていない。リオは自分の仕事を誇りに思っていても、桜にはそうは思えない。

こじれにこじれたとき、健司がリオが日本に来た経緯をひとつひとつ説明して、ようやく誤解が解けていきます。


これは、家族だから、家族だったから話を聞くことはできたと思う。でも、知らない人だったら?ここまで歩み寄ろうと思えるのでしょうか。


そして、そもそも夜職をここまで軽蔑する必要のない世の中だったら、こんなすれ違いは起きなかったかもしれません。
自ら率先して選んだ人も、選ばざるを得ない状況にある人も、夜職だからというだけで差別されるべきではなく、精神的・物理的な攻撃からは守られるべきです。


望まない妊娠という、しんどさ

リオとともに来日したメイは、客と恋愛関係になり妊娠をします。しかし、その客は既婚者であることを隠した遊び人。結婚を約束するかのような言葉を言い続け、メイの妊娠を知って行方をくらまします。


メイにまつわるエピソードは、物語としてはありがちなものです。でも、これがありがちなものであること自体、おかしいことです。

こと妊娠においては、やはり女性のほうが背負うものが大きい。仕事もできなくなるし、授かった命から逃げることもできない。男性側はその気になれば逃げきることができるので、妊娠しても、その責任は女性のほうに偏ってしまう。

逃げない男性がいること、そのほうが多いだろうことも理解している、しているけど、女性は逃げる選択肢がない。そもそもない…
「気を付けろと言ったのに」という言葉、何か起きてからじゃ無意味なんですよ、作中でもそれらしい台詞がありましたが、もう……。

劇中では、その男性客は再び姿を現し、メイは殴りかかかります。そのことでお店は騒然として、これをきっかけにストーリーは急展開していきます。

メイは殴れた。けど、もし殴れなかったら?
殴ったとして、逆上されたときに助けてくれる人がいなかったら?
というか、殴っても何も解決しなかったら…?


そう考えると、望まない妊娠を防ぐための手段が、もっと身近にあってほしいと思いました。ちょうどこの舞台を観劇したころは、SNSでアフターピルの薬局での取り扱いについての意見をよく目にしました。特に住み始めたばかりの慣れない土地でこそ、手軽に手に入るものであってほしい。


国の違い、文化の違い、いろいろな違い


フィリピンルーツの家族の物語だけど、フィリピンに限った物語ではない。作中で重要な役割を果たす一人が桜の同級生、愛。愛は帰国子女で、愛のお母さんも海外生活の経験からボランティアで日本語を教えているという設定です。桜が差別を受けて落ち込んでいるとき、二人は海外生活での経験をもって桜を励まします。そこでかける言葉が、明るく、力強く、素晴らしかった。

愛は桜に「外国ルーツの人」と「外国に住んでいた人」という、近い部分を見出し寄り添うことができました。現実には、自分の目の前にいる少数者に対し、自分も同じ当事者である場面は少ないと思います。

たとえ当事者でなくても、自分の経験を参照すること。経験したことがなければ想像したり、話を聞いたり。理解できなかったとしても、時間を置いたり。相手と寄り添い、理解するためにできることはきっと、いろいろあるはずだなと改めて思いました。

最初に書いたこと、『マハルコ組曲』が、非当事者こそ観るべきと思うのは、きっとこの作品が、様々な違いや痛みを理解することへの、きっかけになるからです。

***

『マハルコ組曲』、鑑賞してから時間がたってもなお、よい観劇をしたなと思い返しています。ぜひいつか再演になって、もう一度この物語に光が当たる日が来るといいなと思っています。

Popular posts from this blog

オペラ・ガルニエは10€で観劇できるよ(一応)

片栗粉はフランス語でFécule、重曹はBicarbonate

フランス・滞在許可証初回申請時のレセピセでの再入国について調べたことなど