読書メモ / ちきりん×梅原大吾「悩みどころと逃げどころ」を読みました

ずいぶん前にですが、社会派ブロガーのちきりんさん、プロ格闘ゲーマーのウメハラさんの対談本「悩みどころと逃げどころ」を読みました。
kindleで買いました。何度も読み返していた本の紹介です。
学校教育について、学校のこういうところがいやだ、こういうことをやっても意味がない、学校がこうだったらいいのに、という議論が繰り広げられています。おもしろい。
こうして、同じだったり真逆だったりする意見をぶつけているのを読むのは、なかなか気持ち良いです。
おふたりが話していることについて、わたしもわたしなりの意見をここに書いていこうと思います。
主に、「そうだよね~」と手放しに共感するわけにもいかなかった部分をね!


先生の負け論について


ちきりん 競争と言えば、ウメハラさんが授業中に寝てたのは、先生の負けなんだよね。
ウメハラ 先生の負け?なぜ?寝てたのは僕の責任でしょ?
ちきりん そうでもないんですよ。だって授業っていうのは、子ども40人を前に先生という役者が劇を演じているようなものでしょ。もし劇場でお客さんが寝ちゃったら、おもしろくない芝居をした脚本家や役者のせいになる。なのに学校だと、寝てる子どもの方が悪いって話になる。おかしいと思いません?
ウメハラ それは新しい発想ですね……。(no.530~533)

ちきりんさんは、つまらん授業をする先生が悪いと言っているけれど、それはそうだと思う。塾の先生はつまらかったら生徒がいなくなるから常に競争にさらされている。だから、学校の先生もやるからには負けないように努力するべきだと。

おもしろい授業が出来ない理由ってなんなんだろう?と思ったのだけど、ひとつめは正直あまり勉強が大事にされてないんじゃないの?というところ。
私が中学生だったとき、私の学校であった先生方へのアンケートによると、学校で受験のための勉強をさせようという気持ちを持った先生はほとんどいなかった。たしかに全校生徒の殆どがどこかしら塾や予備校に行っていたから、勉強好きな子や頭のいい子はたくさんいた。
でも塾に通ってない子がそのアンケート結果を見て怒っていたことを今でもよく覚えている。学校は勉強をする場所じゃないのか!みたいな感じで。
先生が、学校は学校でしか体験できないことを体験する場所だ、という認識だった。まずそこかなあ。

でも実際のところ、先生も寝られたら負けだと思ってるのがふつうだと思いますよ。興味を引くことが出来るかどうかが先生の腕にかかっていることは、先生が一番知っている…。


結果かプロセスか


ウメハラ (前略) 競争がある以上、誰だって勝とうとするし、そのために頭を使う。でも勝つことが最終目的になってしまうのは違う。そうなると、たいていの場合は、且つためになんでもありになってしまう。ズルをしたり安直な方法に頼ったり……。だから勝つという方向を目指すのは正しいけど、大事なのは競争のやり方、戦い方です。(no.646)

ちきりん ウメハラさんみたいな勝負の世界にいる人とは違って、世の中の大半の人は、「結果じゃないよ、プロセスだよ」って言われると、みんなで集まったまま、ちょっとずつ沈んでいくんです。勝負だと思えばどんなに頑張っても勝てないことがあるけれど、プロセスはやれば形が作れるからラクなんですよ。だからそっちに逃げる。(no.656)

ウメハラ 「結果を出す」とおいう言葉の意味もちょっと違うのかもしれない。勝ち負け自体はいろんなことに左右されるので、勝った負けたに一喜一憂しても仕方ない。だからこそ僕が重視するのはプレーの内容なんですね。(no.953)
やっぱり、どうしても、「結果じゃないよプロセスだよ」と思うときとか「勝ち負けじゃないよ」と言われるとき、だいたいはちきりんさんがおっしゃっているほう、ちょっとずつ沈んでいく人になりがち。
この「勝ち負けじゃないよ」が危ないのは、ちきりんさんもこの文の後で指摘しているのですが、「がんばった形だけ認めてもらえるから結果が出なくてもがんばった素振りをみせよう」みたいになってしまうこと。

ゲームでもスポーツでも音楽でも、勝つだけではなく、観る人を楽しませるという視点だってすごく重要だ。そこをないがしろにして勝とうとすると、内容もなくて、結果的につまらないことをやって、負けてしまう。じぶんがやっていること、観ている人に嘘をついていないか?つまらない内容になっていないか?ということを、常に厳しく問い続けることなのかもしれない。

音楽はとくになのかもしれないけれど、結果が残せない人(わたしですね!)ほど、結果に執着してしまうから、重要なのは内容だと考えるように気を付けてる。
結果がなければ意味がない!と叱咤激励をくださる方もいるのですが、そう言われた結果、なんでもいいから結果欲しい!となるのは、ちょっとちがうと思っている。
音楽でもそれ以外でも競争や競争意識はたしかにあるけれど、そこに勝った負けたを勝手に当てはめて気にしたり、出た結果に一喜一憂することは、やっぱりちょっとちがう。
何かしらの演奏をしたときになぜか褒めてくださる方がいても、それは一意見として受け止めて、落ち着いて反省するように最近は気を付けています。
評価の基準はいろいろですが、基本はやっぱりよい内容の音楽をした人が満を持して評価されているだけなので、スポーツとか他の例よりも顕著なのかもしれない。

ひとつ、わたしも「結果よりプロセス」におそらく近い言葉で、ずっと思っていることがある。
わたしは思い出づくりみたいなのが苦手なのだけど、具体的には、のちの思い出にするためにたのしもうとすることが苦手。たのしんでいるからあとから思い出になるんじゃないの?と思っている。
思い出づくりしたときに、思い出づくりをがんばった記憶ばっかり残っちゃった経験がある。だから、ただ夢中で楽しんでるときが、あとから思い出になったりするんだと思っている。

phaさんの著書にも、結果よりプロセスだということを書かれています。ウメハラさんとはちょっと違うけどちょっと似ている。

「解けない呪い」


ウメハラ 呪いだから損得関係なく、もうやらないわけにはいかないんです。才能の有無すら関係ない。もしその子が親に止められてボクシングをやめてしまったら、「俺、もしあのままボクシングに打ち込んでいたらどういう人生だったんだろう」というモヤモヤを、ずっと引きずっていくことになる。
ちきりん やってもやらなくても、苦しい人生が待っているわけだ!(no.1252)

これはこわい。
幼いころに自分がやりたいことに出会ってしまうと、それがお金儲けになってもならなくても、けがの危険のようなリスクが高くても、それに打ち込まなければ「あの頃やめていなかったら…」と考えてしまう呪い。これは、大きさに違いはあれど、わりとみんな持っている気がする。
わたしは小さい頃から純粋にサックスがやりたくてサックスを選んだわけではなく、なりゆきで選んでいくうちにたのしいと思ってしまって続けているにすぎない…といってはなんだけど、本当はやりたかったことって結構たくさんある。そういうのをふと思い出すことがある。これ、呪いだよなあ。あれやりたかったな~と思うことは、やったほうがいいよね……。

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この本で一貫して書かれているような気がするのは、結果とプロセスのこと。何を結果と思うのか、何をプロセスとするのか、それだけでも結構違ってくるのかもしれないけれど、大事なのは、あくまでそれは自分基準であること、周りの価値観に振り回されずに内容を見て考えること、だと思う。最近は何の本を読んでも似たような考えに行きつくような気がするけど、この本は私がそういう考えに行きつくようになったきっかけの一冊です。気分入れ替えたいときに読む本です。おもしろい。