読書メモ / 猪原敬介「読書と言語能力 言葉の『用法』がもたらす学習効果」を読みました

またまた、図書館で借りてきた本の紹介を。
猪原敬介さんの、「読書と言語能力 言葉の『用法』がもたらす学習効果」という本です。
さらさら目を通していただけなので、はたしてこれ読みました!と言えるのか、というと言えない気もするのですけど。
この本は、猪原敬介さんの大学院博士論文を加筆したものです。
読書をすることはいいことだとされているけれど、なんで?じゃあ何を読ませたらいいの?という研究です。

この本は学校教員や保育士など、専門家でない人が読むことも想定して書かれています。
なので、初めて聞くような言葉の説明や例えも、丁寧でわかりやすいです。

しかし私は学校の先生でもないし、専門家でもない人なので、
私のこの記事を読んでも本の内容については殆ど参考にならないことでしょう。 すみません。

読書は役に立つ?


結論だけ抜き出して要約していいのかわからないけど、要約。

読書は言語力を伸ばすために役に立つが、誰が何を読んでも効果的なわけではない。
バランスのとれた言語力がある上で、本人の理解できる範囲のものを読むといい。
(言語能力においてアンバランスなところ、何らかの理由で言葉が上手く使えないときは、読書以前のサポートが必要。読み聞かせも有用かもしれない)
読書は主観的体験を楽しむものであり、それに加えてたくさんの単語と触れ合う機会ともなる。
知らない単語に触れることができ、すでに知っている単語の新しい使い方も増える。

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あとはこの本の内容の向かうところに関係なく、目に留まったことを抜き出していきます。

「直接的教授」と「用法に基づく学習」(p80~81)
語彙を増やすためには、こんなふたつの手段が考えられる。
直接的教授は、言葉そのままの意味で、親や先生から意味を教えてもらうこと。
用法に基づく学習は、周りの人がどう使うか、によって、その使い方を学ぶこと。
読書をすると、用法に基づく学習がされると説明がつく。

とのこと。

これ、が気になったのは、外国人のための外国語教育に思い当るところがあったからです。
本当にわからない単語はもちろん調べるのですが、日本語にない表現のものはを理解するのは、用法に基づく学習だなと。
用法に基づく学習は、それの意味を説明できなくても、「問題ない正確さで意味を理解できる」、とも書いてある。使わないと正確にはわからない使い方を学ぶのは、用法に基づく学習だな、と思いました。

形態素解析(p82~)
日本語は英語などと異なり単語同士の間にスペースもなく連なっているので、形態素…言葉の意味の最小単位に分ける。それが形態素解析。

この単語を抜き出した理由は、たまたま昨日、圧縮新聞の作者のphaさんの記事を読んでいて同じ単語を見たからです。圧縮新聞のことはあまり知らなくて、あれは人為的に意味が通らないものに縮めているのだと思っていたのですが違うんですね。
ああ本当に、この本とは全然関係ない話になってしまった。

推論(p154~)
なにか出来事を表す文章に対して、その前後に何があるのかを、想像すること。
たとえば、子供がひざをすりむいて泣いている、という文章に対して、こどもは転んでしまったのだろうと想像する。

推論が気になったのは、これ普通に行われていることで、普通のことに名前が付いているぞ!というところ。
音楽も次が予測できるところあるじゃないですか、それには名前がついているのかな。

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言葉って普段何気なく使っているけれどこうやって理屈で説明しようとするととんでもなく複雑なんだと思いました。
でも人間は足りないことを察したりできるから(推論かな)、伝えたいこと言うだけなら複雑すぎなくてもいいようにもなっている。
この本は言葉の学習効果について言っているけど、言葉についてもっと別の視点から見るとちがった複雑さを持っているんでしょうね。
パソコンもパソコンの中身について知らなくたって使えるけど、何か高度なことをしようとするとコマンドプロンプトをひらかなきゃいけなかったりする。
言葉もパソコンと一緒じゃないか…と思っているところです。
音楽もそうなのかもなあ。わかる部分でさえ複雑に思うのに、ひとつ違うことをしようとすると知らなきゃいけないことがたくさんあるのかな。

また雑多に書き並べただけになってしまった。おわり。