読書メモ / pha「持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない」を読みました


phaさんの「持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない」を読みました。
kindleのセールで、堀江貴文さんの「多動力」を、最近話題になっているっぽいので買ってみて(こちらはまだ読んでいない)、
この本はここ数日でphaさんの圧縮新聞だとか、ちきりんさんとの対談の記事を読んだりして、気になったので買いました。

ちょっといまいろいろなことがよくわからないので、どんどん本を読んでいこうと思っているところ。
この本は全体に口調がゆるくて、意気込まずに読めるので好きです。さらっと読めてしまった。
一貫して、みんないろいろなんだから、みんないろいろでもいいんじゃないか、というような感じ。

また今回もいいところを引用させていただいて、感想とかを書いていきたいと思います。


結果より過程

「やること」というのはそれをやること自体が「目的」であって、「手段」ではないのだと思う。そこを取り違えてしまうと、何年間も一生懸命頑張って目的を達成した途端に、次に何をやったらいいか全くわからなくなってしまって虚脱感に包まれるという、「燃え尽き」状態になってしまったりする。本当は「目的」はどうでもよくて、そこに至るまでの「過程」こそが大事だったのだ。

仕事をするというのは、お金をもらうための手段ではなく、それ自体が目的、という話。結果を残しても次から次へ新しいことに手を付けていく人は、自分の残した結果に執着することもなく、ただただその作業が楽しくて新しいことをやっているという。
phaさんも、大学受験の勉強は楽しんで受かった、ともおっしゃっているので、楽しくないことを無理して頑張る必要もない、楽しむことが先決、ということなのかな。

何かを得るために頑張る→結果を残す(目的達成)or失敗→もうがんばったからなあ or こんなにがんばったのになぁ(燃え尽き)
何かを得るために楽しむ→結果を残すor失敗(どちらも通過点)→後腐れなく別のことを始める etc...(あれも楽しかったよね)

みたいな、そんなことなのかなあ。

結果より過程、というのはプロ格闘ゲーマーのウメハラさんの本にも、勝つことではなくそれまでの取り組みの方が大切だというようなことが度々書かれてるのですが、
ストイックに強さを極めるウメハラさんとは一見真逆のようにも見えるphaさんも、同じように過程が大切だと言っているのがおもしろいです。
(お二方とも、みんながどうかしらないけれど自分はこのやり方があっている、というスタンスで通じるものがある気がします。)

結果を出さなきゃ意味がないという空気がつよめの世の中で「結果より過程」と聞くと、それだけで禅問答のように思ってしまうのですが、このことは実はすごく単純で。
その作業を楽しむことに重点を置く、楽しくないことは意味がない、と思うとすんなり腑に落ちる気がします。
苦しんだ先にだけ嬉しいことがある、というのではなく、楽しいことが続けられるのが嬉しい。なんだかシンプル。

人間は遺伝子だけではなく、ミームも残す

人間の場合何かを伝えたいとか残したいと思ったら子どもを作って遺伝子を残すだけではなくミームを伝えるという方向性もあるということだ。それは遺伝子を拡散するのと負けず劣らず面白いことだと思うし、遺伝子を残すしかやることがない他の生き物よりもその生でできることの幅が広いと言うことでもある。

ミーム(meme)とは、生物学者のリチャード・ドーンキスの提唱する概念。
これは遺伝子(gene)から連想された言葉で、「文化を伝える遺伝子」とも。生物が繁殖し子孫を残すのと同じように、人から人や社会へ伝えて残される自分の言葉やメロディが、遺伝子のようにどんどん受け継がれ変化したり進化したりするというアイデアを指している。
子供を残したい、過程を持ちたいというのは、生物として普通のものだけれど、子供が欲しいなら産めばよいし欲しくないなら持たなくてもいい。
phaさんも何かを残したいという欲求を満たすために書いているのかもしれない、とのこと。何かを残したいという欲求を満たすのは遺伝子だけではない。

この概念が初耳で、おもしろいなあと思っています。

家族
人が集まって住むときに「家族」という概念を使うと便利だったら使えばいいというだけの話で、誰かが考えた「理想の家庭」を実現するために人が生きているわけじゃない。「多様な家族のあり方を認めると家族がバラバラになってしまう」という発想は、「人間は型にはめて縛り付けていないとだめになってしまう」と言っているようなものだし、それはちょっと人というものを信用しなさすぎな意見だと思う。

家族という概念が出来たのはせいぜいこの数十年で、家族だからこそ突き当たる問題はありながらも、まだ制度的には家族が生きやすいようになってはいる。だから、無理に家庭を作ろうと思うのではなく、自分の場面に応じて考えればいいというはなし。結婚して家庭を持つと決めたら誰もがみんな理想の家庭を作らなきゃいけない、というわけではない。家庭をもつというやり方に問題があるから家族なんかいらない、というのではなく、便利だったら使うでいいじゃないか、という。

とはいえ、結婚については、結婚年齢が遅くなったり独身が増えたりしていることもあって、そういう重要さが少し薄くなってきているよね。
家族に限らずこうやって多様性を認める動きってここ最近でだいぶ増えたような気がして嬉しい。(もともと多かったのをわたしが知らなかっただけなのかな)

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また折に触れて、読みたいと思います。
ほんとうに、この記事の冒頭でも書いたように全体的に口調がゆるくて、よみやすかった。
色んな生き方があるけれど、こういう生き方もあるよ、というのがなんだかポジティブで。
ニートってマイナスイメージしか持てなかったけど、マイナスイメージ自体が、「こうあるべき生き方」みたいなところと比べているし、そういう視点から見てマイナスイメージの人を減らしていくために植えつけられていたものなのかもしれない、と思いました。
いろんな生き方があるよね。みんな違うんだからもっとばらばらでもいいよね。