わたしだって「無用途人間」ですからね


笑いの世界はよくわからないのだけれど、ラーメンズは好きなほうです。YouTubeでたまに見ている程度のものだけれど、いつかライブに行きたい。

初期の頃のネタに「無用途人間」というコントがあって、わたしはそれが好きです。

この記事はネタバレというか、そういう感じなので、ご存知ない方はまずご覧いただきたいです。どうぞ。






無用途人間が、伝達用人間という用途をもらう、その目的を果たすとまた無用途人間に戻ってしまう。用途をお互いに伝え合うのを繰り返すお話です。

こういうことって、ここまで露骨ではないにしろ、ありませんか?

ないか。ないですよね。

ああ、そうです、今日は、ライブのお手伝いをしました。ほんの少しだけ演奏に入れてもらったりしましたが、基本的にはお手伝いです。

わたしは、普段から自分のことしか気が回らないスットントンです。今日もせっかくお手伝いとして呼んでいただいたのに、気が回らないことばかりでほとんど力になれませんでした。

演奏をする人が演奏に集中できるように、さまざまな面で先回りをしてお世話するのがベストなのですが、気がつくと言われることを待つ人になってしまう。言われることを待っている間はまさに無用途人間なのです。 


「言われることをやる」という目的を達成するために、何もしていない人。
「言われることをやる」という目的を達成するために、先回りで気を遣うことをあきらめ、無用途に徹する人。
「言われたことをやる」ために、言われること以外のことを見過ごしてまで、無用途に徹する人。


書き表してみるとなかなかひどいものですが、
自分のことを無用途人間みたいだなあ、と思ったら、もう少しがんばれそうです。ツッコミどころが多い。

演奏が上手な方はこぞって、話し上手、気配り上手、相手に気を遣わせない上手、なので、こうなりたいと思うばかりです。がんばります。

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さてさて今日は、とあるジャズの演奏会に急遽、こっそりと、乗せていただきました。関係者のみなさま、お越しくださったみなさま、本当にありがとうございました。

同世代の若手の方たちや、プロの方々と演奏させていただいて、分の足りなさを焦りました。私も、もう何年もそんなことばかり言っている気がします。