読書メモ / 上野千鶴子「おひとりさまの老後」を読みました。

上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を読みました。2週間くらいかけて読んだ。読むのに時間がかかった…。

この本は、自分のために生きてるか?という問いかけであふれている。世間一般の常識、子供の都合、介護者の都合、いろいろあるけれどまず自分のための選択をしよう、というスタンス。
どんな方がどのように、ひとりでも老後を生きやすくするか工夫と整備をされているのか、という世間の動きなんかも書かれているけれど、基本的には心構えみたいなことを盗むつもりで読みました。
読みながらどうまとめたらいいのかわからない個所にハイライトをしていたので、わかりやすい部分を抜き出していきます。

ゴキブリのように身を寄せ合って暮らすことを 、 「さみしくない」のとカンちがいする貧乏性は 、たいがいにしてもらいたい 。高齢者のひとり暮らしを 、「おさみしいでしょうに 」と言うのは 、もうやめにしたほうがよい 。とりわけ 、本人がそのライフスタイルを選んでいる場合には 、まったくよけいなお世話というものだ 。(No.531)

生きやすいかどうかはその人が決める、ということだ。いわゆる幸せの型にはまっていなくても、それがその人の選んだことだったらそっとしておいてほしい。そういう型にはまることは、勝ち負けの評価も含まれていたりして、上野さんはこの本の中で常々そういう勝ち負けから解放されることを望んでいる。

聾唖のひとたちのためには 、画面上に手話があらわれる通訳ソフトがある 。が 、インタ ーネット上でチャットやメ ールをやりとりしているかぎり、見えない、聞こえない、話せないは 、まったくなんの 〝障害 〟でもない 。パソコンはバリアフリーのコミュニケーションツールなのだ 。(No.1231)

障害者のひとたちが 、こういうカスタムメイドのソフトの開発に一歩も二歩も先んじてくれるおかげで 、わたしたちは 、そっか 、足腰が動かなくなったらあれを使い 、耳が遠くなったり目が見えなくなったらこれを使えばよいのか 、麻痺が起きたらこの手があるし 、声を失ったらああいう手もある … …と 、安心して歳をとることができる 。(No.1234)
障害にかかわらず、やりにくいことをすこしずつ気づいて、直して、変えていくことで、みんなが生きやすくなることなのかも。
駅にエレベーターがあることで、車いすの人だけでなく、ベビーカーの人も、荷物が多い人も、出かけるのがちょっと楽にできる。そういうのを積み重ねることができたら、きっとすてきじゃないですか。

機械が苦手な人でもスマホが普及して、いろいろなことが楽にできるようになった。画像や動画の編集も、買い物も。パソコンが苦手な人でも簡単に扱えるように、いろいろなシステムやサービスが新しくつくられたり、既存のものが改善されていくこともまた、バリアフリーだな、と思った。

物に自分を合わせなくても、自分に物を合わせられるいい時代だよね。



多くの妻が、たとえかぜで熱があっても自分で家事をしてしまうのは、夫に愛情があるからでも、夫に家事能力がないからでもなく、自分のこの罪責感が耐えられないからである。夫にお茶一杯いれてもらうのに、じっと座って待っているだけで神経がすりへってしまい、こんなことなら自分でさっさと立ってお茶をいれたほうがまし、という気分になるという女性もいる。女を〝女役割 〟にしばりつけているのは、夫や子どもではなく、自分自身だ 。(No.1697)
女だからこうであれ!という理想像を知らないうちに強要されているものだし、そういう性別の束縛からはなかなか逃れられない。自分ができないことを手助けしてもらい、物理的にラクになれても、精神的にラクになれるかどうかは別問題。
上野さんもこの本の中で「介護される側の心得10箇条」を書かれているけれど(No2061)、まず自分をよく知ることが一つ目に挙げられている。自分を知ることは、こういうしがらみから自分を解放することにもつながっているのだと思う。