結局のところ、自分が幸せかどうかが大事。香山リカ「比べずにはいられない症候群」を読みました。

香山リカさんの「比べずにはいられない症候群」を読みました。


日常で出会うさまざまな場面について、香山さん自身の体験や、臨床の現場での例を用いながら。他人を過度にうやらまずに過ごすための、ちょっとした視点の変え方が載っています。

なぜ比べあいをしてしまうのか?


比べあいは誰でもしてしまうもので、案外単純な法則性があります。
① 常に自分より恵まれている人、幸せな人と比べる
② 自分も恵まているかも、幸せかも、ということは目に入らない
③ 相手は「幸せに見える」というだけで、本当は違うかもしれないなどとは考えられなくなる
④ 自分がいまの生活に満足していても、「あの人のほうが上」という相手が見つかるとすぐに比べあいをしてしまう
(No.127-131)
誰かと比べて自分が幸せか?
世間的に見て自分が幸せか?
ということを、必要以上に気にしてしまうことが、主な原因。
比べること自体には、あまり意味がないことがわかります。

誰かを超えてもまたまた上の人がいて、比べることに振り回されて、疲れるばかり。何が幸せかという基準はひとそれぞれ。時代によって、国によって、違いがある。人もそれぞれ違うので、自分がどうしたいか、どう幸せになるかは、それぞれ自分が決めていい。

比べた相手が幸せかどうかは別で、そもそも、自分が持っているものも良いものだったりする。自分の頭で考えて、自分の在りかたを決めていきたいものです。

自信がない、もまた長所。

本当は「自信がない=欠点」というのはおかしなことです。自分に自信が持てない人は、その分、他人にやさしくできたり弱い人に共感する力を持てたりするはず。ゆっくり慎重に進むことで、誰もが先を急ぐ世の中の調整役にもなります。 (No.1570-1572)

しかし、いまの社会が「さあ、あなたも自信を持ちなさい」とせまってくるわけですから、自信のない人はなんとか対策を打たなければなりません。そういう人は、まず「どうして自分に自信がないか」とノートなどに書き出してみてはどうでしょう。 「貯金がないから」「スタイルがいまひとつだから」「英語が話せないから」「婚活がうまくいかないから」「家族と仲よくできないから」「家の掃除ができないから」など具体的にいくつかの理由が見えてくると思いますが、その多くは「ひとつひとつ解決すればなんとかなること」です。( No.1574-1579)

長所か、短所か、というのは、とらえ方によって違う、という例。
自信がないということは欠点に見られがちだけれども、必ずしもそうとはいわないということ。
また、自分が抱えている悩みや問題を、ひとつひとつ、解決していけばなんとかなる、とのこと。

はっきりしないから自信がなくて、不安になる。
明確にして、片付けていけば、そうでもない、ということ。


自分は自分の気持ちしか分からない

あなたが「うらやましい」と思う相手も、本当は悩み苦しみ、傷ついて部屋でひとりで泣いているかもしれません。もちろん、そうではなくて心の中もハッピーな場合もあるでしょうが、そうかどうかは、どんなに仲よしでも外からはわからないのです。(No.1676-1679)
誰かの心の中を覗くことはできないので、幸せかどうかは別。じぶんがこうだったらいいのになあ、と思うことは、なっていないからそう思うだけ。実際になっている人がどういう気持ちかは、わからないし、自分がそうなることがいいことかもまたわからないもの。

うらやましいと思っても、自分の持っているもので満足できるのなら、そこで満足することもアリ、なのです。

うらやむ気持ちも、使い方次第。

「うらやましい」という気持ちは、ときには人生のスパイスにもなり、向上心のもとになるかもしれません。でも、いくらおいしいスパイスでも、かけすぎれば料理の味は台無しになってしまうのと同じように、比べあいをしすぎると人生は地獄へまっしぐら……。 誰もが避けられない比べあいですが、そこは「やりすぎない、やりすぎない」と自分に言い聞かせながら、「私は私、これでいいの!」と前向きに歩いていきたいものです。(No.1752-1756) 
 
うらやむ気持ちがスパイスだという表現が、まさに的を得ていると思いました。
うらやましい気持ちが向上心につながることもある。その使い方を間違うと、劣等感にさいなまれたり、自分を責めたり、なにかと振り回されるばかり。

他人をうらやむ気持ちも、自分の気持ちや在りかたとは、分けて考えられるようになるといいのかもしれません。比べすぎて落ち込まず、モノによっては向上心にして、マイペースにいきたいものです。