思考停止とノスタルジー

昔から、友達が聞いていた曲、勧められた曲を聴いて好きになることが多かった。自分で探して聴いて夢中になるほど好きになる曲は少なくて、そんなところも個性がないから自分はだめなんだ、とか思ったり、個性的であろうとする手段として音楽の趣味があったし、何かを好きであるということは自分の個性だと思っていたから、個性がない自分が嫌だったけど、個性がないのは今でもそうだけど、それは何を個性と思うかなのでまた別問題なんですけどね。

だから好きな曲があっても、それを勧めてくれた人、一緒に聴いていた人、そのときの匂い、天気とか、そういうものを思い出して。新しいものを探さなくても、勉強をしなくても、自分の心地よいところを探ろうと思えばどんどん出てくるし、そういうノスタルジーに浸ってしまって、何も手につかない。
思い出って頑張らなくてもそれだけでおいしい陳列されたお菓子みたいなもので、多少ならともかく大量に食べていれば確実に胃もたれする。 今日は本当に、思い出というバーチャルなお菓子と、実物のお菓子を摂りすぎて、今日を何年も続けたら確実にすぐ死ぬって体が言っているような気がする。バランスよく食べて適度に運動する、というのは知識や思考においても同じことが言えるはずだ。



ちょっと前に初音ミク10周年で盛り上がってのも、そうなっちゃうのが嫌で見なかった。わたしがそういうヲタク文化にどっぷりはまったのはほんの数年のことで、ニワカだし黙っておこう、みたいな気持ちもあった。
そのくせに、ふと思い立ってニコニコ動画にログインして、わたしがボーカロイド(以下ボカロ)を聴いていたころの、当時のボカロの音楽を聴いている。カラフルな文字の弾幕が流れたり、タグでどんどん飛んで行ける、この感じが懐かしい。コメント職人さんはとうの昔に流れていなくなってしまった。誰かが一緒に見てる、一緒に盛り上げてる、って感じが楽しかったんだな、と初めて分かった。

それがだいたい10年前だった。中学生だったし、当時ボカロやアニソンが好きだったし、ロックが好きだったし、カラオケが好きで、カラオケに行って選曲で推定年齢を出してくれる機能があったけれど13歳が歌っているのに23歳と出たりした。それが今ではその年齢になってしまったのに、その年代の曲は歌わなくなってしまった。23歳になれば何歳の曲を歌うようになるかなんて考えたこともなかったし、カラオケだって行かなくなってしまった。

この10年で、当時好きだった作家さんや歌い手さんの中には、もう音楽をやめられた方もいる。反対にこつこつ続けている方や、どんどん大きな舞台に進出していった方もいる。当たり前だけど、みなさんそれぞれ生きている。作品越しにしかその人を見ていなかったから、作品すら見なかった時間を通して初めて、人間だったんだ、とわかった。

わたしは、10年の間に成長したんだろうか?
10年前に現在のわたしくらいの年齢だった人たちが、10年前のわたしを夢中にさせてくれたものを作っていた。
23歳わたしは10年前と変わらない気すらするし、どんどん小さくなって、なにもできなくなってしまったようにも思う。

そしてこの先の10年、わたしはどうなっていくんだろう。 なんの成長も感じられない10年間に後悔をして、その先の10年に不安を感じるのでした。ふーん



 
わたしがやっていることは、そういったいわゆるポップカルチャーではないけれど、だからといって、 人の体に流れる時の流れの速さは同じで、人の心を動かすものをつくるということは同じで。 
(広い意味で)古典芸術だからといって、他人に言われたことをやっているだけではだめだとやっとわかったし、自分で考えなければ死んでいくだけだとわかったし、そもそも言われたことを端から端まで実装できる真面目なタイプだったらこんなダメダメな23歳じゃなかっただろうし、そういう頑張れる人が同世代で結果を残している人たちなんだろうというのもわかっているので妬みが出てくる隙もないし本当に尊敬する。人と自分を比べるもんじゃないとは言うものの、比べもせず、すべてを投げ出して生きれば幸せなんでしょうけど、それだけが幸せでもないしね。わたしはわたしでわたしをつくればいいんですけど、それができていないことがなにより問題なんですよね。おやすみなさい。