ネット中毒だよ

ちょっと思うところがありTwitterのアカウントを消しているのですが、なんで消しているかというと、どう頑張ってもやっぱり見てしまうからです。でも、これからTwitterでコンタクトを取りたいと思っていた方もいるので、どうせまたすぐ復帰させるつもりです。ああ、こうやってまた消して戻してを繰り返すのかなあ。

SNSって面白くて、別にさほどなにも流れてこなくても、検索したり、ぼーっと眺めていられて、なんだか、なんかやってる気持ちになります。満たされる。
でも、それが行き過ぎると無駄に劣等感を抱いたり、自分のツイートに対して誰かの反応があると安心したり、本当に書きたいことを書くのをためらったり、誰かの言葉を曲解して苦しんだり、無言の中になにかを見出そうとしてへこんだり、あることないことつくりだして、なんだかバカみたいな話だよな。別に誰が悪いとかじゃない。

アプリは入れないようにしているんです。だからスマホでもパソコンでもブラウザから見ているんだけど、記事のシェアのツイートが多くなったこの頃だと絶対ブラウザが使いやすいと思うんですよね。
そもそも、わたしがTwitterを始めた頃って公式のアプリを使っている人なんてほとんどいなかったのに*1、いまは殆どの人が公式のアプリを使っていて、そのことで何度も何度も、時代の移り変わりを感じる。こうやって何故か古参みたいな気持ちでいるくせに、さほど古参でもないし。わたしはアカウントを何度も消して作り直しているので、さっき消してしまった今のアカウントは何代目かわからないし、これだけは消さないように健全に使おうと思っていたのに、結局消してるし。

生活がぐちゃぐちゃで、ふつうに深刻なネット中毒かもしれないと思うし、でも寝起きで悪夢と自分の意識を切り離すためにタイムラインを見て、現実に戻ってこられるし、あれインターネットって現実なのか?この現実と夢とインターネットの境目ってどこにあるんだよ。
 
今日ちょっと、「さすがにこれをやったらまずい」という自分のなかのある一線をついに超えてしまった。自分でもドン引きしているし、泣いたし、かといってケロッとしていてそんな自分に腹を立てたりしている。
こんなときでもTwitterを開いて、これはああ、中毒ってやつだな、と確信した。日常生活が破綻してまで、自分が決めたルールを破ってまで、そこまでして使いたいのは明らかに中毒だ。

Twitterを断ったからといってインターネットを断てるわけではなく、だからこうしてぼーっとブログを書いているんです。無気力でもFirefoxは開けるし、それに比べて練習をしたり日記を書いたりノートを書いたりして自分と向き合うのは、しんどい。こうやってまとまらない考えをただ文字に起こすだけの文章は殆ど頭をつかわないから、SNSの感覚に近いのかもしれない。

はあ。またねー。

*1:調べてみたら公式のアプリは出たばかりだったみたい。そりゃいないよな。