美術と音楽、こころと生活

ポンピドゥーセンターに行きました。収蔵作品が多くて、常設展を見るだけで頭も体もくたくたでした。予定は決めていませんがまた行くつもりなので、初めて行った時の思ったことを残しておきたいです。

音楽と美術

ドビュッシーは印象派の画家であるモネと併せて語られることが多いですよね。(影響を受けているのかどうかと言う部分はさておき)
それを思うと、ピカソとかかわりの深かったサティがポンピドゥーセンターに展示されていることは、自然なことなのかもしれません。


絵を見るスピードは自分で決められるけれど、音楽を聴くスピードは自分で決められない。音楽は全体像を見るためには、すべての時間聞かないといけません。映像作品も同じですよね。

ポンピドゥーセンターでのサティの展示は小さなものでした。「本日休演」の幕間の映画や、パラードが、小さなスピーカーから流れていました。
関係のない作品を見ていても、音が聞こえると意識がそっちに行ってしまうのです。視覚的な芸術(=絵や彫刻)と、聴覚的な芸術(=音楽)を、横並びで並べることは難しいなあ、と。 

わたしがサティが好きだから、記憶を呼び起こしているというだけ、なんですけど。

 心を引き出す


4階の展示物には、人の体を連想させるモチーフの作品が多かったような気がします。
見ていると、体は痛くないのに、なにか、痛いんですよね。

いちばん思ったのはこの作品でした。
わたしは偶然、斧で指を切り落とそうとしているシーンしか見ていなかったので、めちゃくちゃ痛かった…。
50分もあるの知らなかったけど、全部見る勇気が起きません。

Paul McCarthy "Painter"
 https://www.youtube.com/watch?v=-fw4gYWkXgo




赤色を見て血を連想して、青色を見て空や海を連想する。色それ自体には意味はないのに、使い方によって感じることが違ったり、感じ方を引き出すために使う。不思議だなあ。 

心理学でいう、「逆転移」と近いものを感じます。自分の体験ではないのに、自分の体験で感じた近い感情を引き出して、共感してしまう。

デザインと美術

最近、機能美が美しい、ということを考えていました。

わたしは機能性と見た目の美しさを兼ね備えたものが好きです。そんなことは前々から思っていたのですが、近頃はより一層そう思っていました。
生活をより良くすることが第一にある美しさです。

美術館で見る作品は、人の心にひっかけるためのものです。生活そのものとは直接関係のない美しさです。
メッセージが心にひっかかることで生活は変わるかもしれませんが、直接生活に役立てるものではありません。
たぶん、心にひっかけるためだけに、作られています。

機能美、使うことのための美しさを求めるデザインと、美術館で展示されている作品は、根本的に何か違うかも、ということに気が付きました。

そんな話を友達にしたところ、「アートとデザインは問か答えか、という文章を読んで、同じことを考えていた」とお返事をくれました。(本当にありがとう)

なるほど、問いと答えの違いは、音楽の中にもあるものかもしれません。

(おまけ)

これを書いていて下書きが飛んで悲しかったです。本当に。ブラウザで書いたものの上に、アプリから書いたものが上書きされたみたいです。

一度書き上げたものを結局一から書き直したので思ったことがすっきりまとまっているような気がします。それはそれでいいのですが、ちょっと虚しいです。