共感に救われる日が来るとは思っていなかった

追って話すかもしれないし、話さないかもしれないけれど、昨日少し嫌なことがあった。

「困ったときは相談してね」
「きちんと言い返さないとダメだよ」
「納得するまで引き下がるな」
「嫌なことは忘れて、別のことを考えろ」

……などなど、他人に対しては言える。でも、いざ自分が困ったときは、全然ダメだ。ダメだった。自分はあの状況で折れてはいけなかった、それだけは言える。

こちらが論理的に客観的に話を進めようとしても、感情論に持っていく人がいる。そうするとわたしは弱い。

年齢の割にリテラシーが低く、未熟で、軽いうつ状態でもある人を、感情的な攻撃で打ち負かすことは簡単だ。なにもかもお前の未熟さのせいだと、そう解釈できるセリフを吐けば一発で崩れる。崩れるときは自尊心も道連れだ。
短くはない付き合いのある人だから、お世話になった人だから、お礼をしたい、迷惑を掛けたくない、怒らせたくない、悲しませたくない、そういう気持ちが少なからずある。だから簡単に負けてしまう。何が正しいのかすらわからなくなる。

打ち負かされてから一人になり、やるせなさや悲しみが込み上げてきて、そんな自分に腹を立てたりする。家族に電話をしながら泣いた。そのあと一人でも泣いた。パリに住んでいる友人や、新しく住んでいる家で一緒に暮らし始めた人が、話を聞いてくれた。そうしてやっと、落ち着いた。とても有難かった。

それはおかしいだろう、悪いのはあなたじゃない、と、そういう言葉を掛けてくれる人は、とても大切だ。自分の心なのに、自分の自尊心を立ち直らせることが難しいときはある。なにもかもわからなくなる。そういうときに共感が役に立つのだと知った。

共感したからといって何か生まれるわけじゃない、そんな風に思っていたけれど、決して無駄なものではないのだ。