「クラシック音楽のコアユーザーは日本では1%ほど。秘密結社みたいなもので、クラシックを好きな人は秘密結社の一員だということに誇りを持って聴いていこうね」という、茂木健一郎さんの何でも相談室の回答、短いですがとても好きなのでみなさん読んでくださいhttps://t.co/XPjcV2H7aG— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2017年12月1日
(学生が演奏会行かない云々、という話題、実はトラウマなので過剰反応してしまうんですが、何で聴きに来ないの?と名指しで声をかけるとき、我々は秘密結社の一員に過ぎないということを忘れがちではありませんか)— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2017年12月1日
#2018年の目標— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年1月2日
目的
・演奏会に行くフットワークを軽くする
・耳を肥やす
・普段聴く音楽の中でクラシックの割合を増やす
目標
・毎週水曜夜はパリ管、という予定を固定する
・予習する(プレイリストをつくる)
・新しく知った曲をメモする
・演奏会の情報を集める
報告していくので見守ってください…
去年3回くらいパリ管聴きに行ってると思ってたら2回しか行ってなかったし、今年も既に3回くらい行ってるかと思ったら2回しか行ってなかった。— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年2月4日
記憶は曖昧、記録は正確…。
やみくもに演奏会聴きに行ったって何にもならんよ時間と金の無駄だよ、って思われるかもしれないですが、本当にとにかく何でもかんでも選りすぐりせずに足を運べば何か道が開けるような気がしている。本当に無駄かもしれない。— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年2月4日
「留学中は毎晩演奏会に足を運びました」みたいな美談ちょいちょい聞くような気がするんですが、本当にほぼ毎晩オケ聞けそうなくらいいろんなオケの演奏会あることを最近知って、でも既にチケットない公演ばっかりで悲しんでます。キャンセル待ちしてるけどキャンセル出ないし。— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年2月4日
以前は、行った演奏会のプログラムを逐一SNSに上げる人の気持ちがよくわかりませんでした。こうなってしまった今では、行ったライブのセトリを誰かと共有したい気持ちと近いのかもな…と思っています。— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年2月20日
まあクラシックの演奏会のほとんどが、はじめから曲順が公開されているんですけどね。知ってる!!
先月くらいから興味を持ったらとにかく出かけると決めて、いろいろ行くことにしているのですが、やたらめったら足を運べばいいという話でもないですよね。でも、もう少しいろいろ知りたいので、たとえ予約できなくても懲りずに出かけるつもりです。— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年3月31日
この頃やたらめったら演奏会行きました報告をしているのは、年明けに掲げた #2018年の目標 のせいです。ちょっとここらで、目標の振り返り。ひとつめの目的は既に達成している気がします。目標のふたつめ、プレイリスト作成して予習…はあまりしていません。それどころか曲目すら把握しきれない事態… https://t.co/mXs21vRG5J— オーノサエ🎷 (@sae_ono) 2018年4月7日
演奏会を聴きに行きたいばかりの毎日を過ごしていますが、我ながら、こんな状態で大丈夫なのか、時間とお金の無駄ではないか、逐一不安にもなります。
とはいえ、毎日のように演奏会聴いてると見えない世界が見えてくることもあります。
たとえば。
演奏会に足を運ぶことや、演奏を聴くことは、すごく疲れます。
楽しければ疲れない、なんてことはありません。楽しいのに、頭も体も疲れます。自分は演奏をしていないのに。今までこんなこと、気付きませんでした。
わたしが大学生の頃よく見かけていた「毎日のように無料の演奏会を聞きにくる人たち」の根気ってすごいと思います。他人のこと馬鹿にするもんじゃないです。
もうひとつ、集中力について。
楽しみなひとつの演奏会のために日々頑張って過ごしてきた人は、いわば“楽しみエフェクト”がかかった、質のいい集中力で演奏を聞けるはずです。
でも、お客さんのほとんどは、たぶん、そうではありません。ほとんど、“楽しみエフェクト”がかかっていない人です。
興味ないけど誰かに誘われてきただけかもしれないし、ノルマの穴埋めのために仕方なく来ているかもしれない。楽しみな演奏会しか聴いてない人には、そうじゃないお客さんの心境なんて、わかりっこないのです。自分が演奏者として舞台に立つとき、そういうことはあまり気にしたことがありませんでした。
そして、集中力がない人すら惹きつける演奏、というものは確かに存在するのです。
だからニワカでも来て大丈夫だし、知識がなくても来て大丈夫だということ。そういう人が楽しめるかどうかは奏者に懸かっているわけです。重大ですね。
やったことないことをやると、知らなかったことが見えてくる現象ってあると思うのですが、やたらめったら演奏会を聴くことで、そういう知らなかったことが見えてきました。いや、みんな本当は知って当たり前なのに、自分が知らなかっただけなのかもしれません。それでも、こうやって気付けて、よかったなあと思います。