やたら演奏会に足を運ぶことにした自分の心境の変化についてのメモ





演奏会を聴きに行きたいばかりの毎日を過ごしていますが、我ながら、こんな状態で大丈夫なのか、時間とお金の無駄ではないか、逐一不安にもなります。

とはいえ、毎日のように演奏会聴いてると見えない世界が見えてくることもあります。

たとえば。

演奏会に足を運ぶことや、演奏を聴くことは、すごく疲れます。
楽しければ疲れない、なんてことはありません。楽しいのに、頭も体も疲れます。自分は演奏をしていないのに。今までこんなこと、気付きませんでした。

わたしが大学生の頃よく見かけていた「毎日のように無料の演奏会を聞きにくる人たち」の根気ってすごいと思います。他人のこと馬鹿にするもんじゃないです。

もうひとつ、集中力について。

楽しみなひとつの演奏会のために日々頑張って過ごしてきた人は、いわば“楽しみエフェクト”がかかった、質のいい集中力で演奏を聞けるはずです。
でも、お客さんのほとんどは、たぶん、そうではありません。ほとんど、“楽しみエフェクト”がかかっていない人です。

興味ないけど誰かに誘われてきただけかもしれないし、ノルマの穴埋めのために仕方なく来ているかもしれない。楽しみな演奏会しか聴いてない人には、そうじゃないお客さんの心境なんて、わかりっこないのです。自分が演奏者として舞台に立つとき、そういうことはあまり気にしたことがありませんでした。

そして、集中力がない人すら惹きつける演奏、というものは確かに存在するのです。
だからニワカでも来て大丈夫だし、知識がなくても来て大丈夫だということ。そういう人が楽しめるかどうかは奏者に懸かっているわけです。重大ですね。

やったことないことをやると、知らなかったことが見えてくる現象ってあると思うのですが、やたらめったら演奏会を聴くことで、そういう知らなかったことが見えてきました。いや、みんな本当は知って当たり前なのに、自分が知らなかっただけなのかもしれません。それでも、こうやって気付けて、よかったなあと思います。