「即興演奏の練習は音楽の仕組みを体に落とし込んで感覚で演奏できるようにすることなのでは」という仮想

「即興演奏の練習は音楽の仕組みを体に落とし込んで感覚で演奏できるようにすることなのでは」という仮想

わたしは即興演奏が得意ではないので、あくまで仮想です。
この記事から何か得ることを期待して読むとがっかりすること間違いなしです。ひとりごとです。

この場合の即興演奏は、主にジャズのアドリブソロを指します。
(しかし、たぶん他のもの、クラシックのカデンツァとか現代音楽の即興とかでも通じるものがあるような気がします。)

・・・・

たとえば、わたしが、どんなジャンルの曲であれなにか暗譜で演奏するとき、何を考えているのかというと

・一緒に演奏している人の出している音
・お客さんと、場の空気
・表現

の、三つです。

曲のだいたいのことは、いうなれば既にインストールされていることなので、
難しい奏法だとか、あの音はなんだっけ?この次の展開はどうなるんだっけ…とか、そういった具体的な(初歩的な?)ことは考えなくとも、体が覚えています
ちゃんと暗譜できていれば、その場で起きていることに対処する余裕もあり、割と安心して演奏できるわけです。
(それより、いまこの場の空気を曲の空気に変える、みたいなことを考えていることも多いのですが、抽象的すぎるので今回は保留します)

・・・・

で、即興演奏をするとき、
ジャズのアドリブソロをとるときは、曲を覚えて再現する部分が、クラシックの曲を演奏するときより少ないです。
(もちろん、曲の仕組みを理解している、覚えている、というのはわかるのですが)

演奏中に考えているのは、「この次は何の音を弾こうかな?」とかではないことは、確かだと思うのです。
考えていることは、直接弾いている音のことより、もう少し先に行っている。

音を選ぶ方法はもう覚えている状態で、
「手グセで弾く」みたいな言葉で言われるように、手グセの語彙を増やすことが、語彙を増やすことなのだと。
だから、コピーして再現したりすることは、曲の再現の練習ではなく、手グセを盗む練習だと。
スケール練習の発展系みたいなものをやるのも、決して楽器の技能のためだけではないのだと。

と思って、「即興演奏の練習は音楽の仕組みを体に落とし込んで感覚で演奏できるようにすることなのでは」という考えに行き着いたわけです。

・・・・

以前、ジャズの先生方に教えていただいた、一見単純そうで紛らわしく難しい練習たちをちょっと真面目にやっていて、
そんなことを思いました。

 この練習が何に繋がるんだ!?と思ったこともありましたが、今ではもっとちゃんとやるべきだったという後悔が大きすぎます。

実際どうなのでしょう。
先生に聞けばよかったな。

そんなことを聞いても、アドリブが全然できないことをさらに自白するだけなのですけどね。

もちろん経験の豊富なクラシック奏者の方も、同じように様々なことをインストールされているのでしょう。
一概に、アドリブするひとはこうだ、しない人はこうだ、ともいえないだろうことはわかります。


わたしも、またちゃんとアドリブについてわかった頃に、改めてその答えを考えたいと思います。

2017年10月11日:追記 
「無意識を鍛えること=練習」という定義でも、もう、いいのかも という記事を書きました。