やっと「君の名は。」を観たから思ったこと書く
いやいや、いつか見よういつか見よう、って思っていて。どの配信サイトで見ようかな~とか考えていたら結構な時間が経っていたやつです。
結局、アマゾンでレンタルしました。高画質じゃなくて、普通のほうで。画質わっる!!と思ったのは最初のほうだけで、あとは大丈夫でした。
そもそもこの映画、パリでも去年の今頃には映画館で上映していたのだ。去年は本当に友達らしい友達がいなかったし、流行ものを追いかけたら負け、みたいな気持ちがどこかにあった。いやいや流行をあえて取り入れないことは流行の流れに逆らうことではないんだよ、知ってそれに同調するかどうかの問題だ、と最近は思う。でも長年「追いかけたら負け」という気持ちで生きてきたもんだから、なかなか変えられないものです。変えていきたいんですけど。
というわけで、君の名は。を見たわけです。よかった。まさに今さっき観たところ。
わたしはネタバレというか、できればあらすじすら見たくないので、全然ネタバレ見てなかったんだけど、よかった。
というわたしは、ここに書きたい放題書くだけで、9割9分ネタバレだと思うので、まああんまり期待しないで、ブラウザを閉じて自分の時間を大切にしてほしい。
最近「バカにしやがって」ってセリフ、個人的に使ってたんですけど、元ネタこれじゃないんですよべつに、自発的に使ってたんです。でももしかして、ここから来ているのか…?それを誰かが言って、わたしが思い出して使っているんだとしたら、流行ってすごいな…記憶って怖いな…。
パンケーキの写真撮ってパンケーキ本体がすぐに消える(既に食べちゃってある)という描写が、本当に、わかる。ああいう感じだ。ああいう感じなんだよな。
あと、男の子が日記付けてるのって、あんまりなさそうだと思ってたけど、偏見なのかな?
まずひとつが、平山瑞穂さんの「忘れないと誓ったぼくがいた」。(これ、映画化されているだなんて知らなかった。)
それから、乙一さんの「Calling You」という短編。(わたしは「失はれる物語」に載ってるものを読んだ。Caling Youが表題になっているやつもあるみたい。)
作品と関係ない本のネタバレをするのはやめよう。(あと、なにより、はっきり覚えていない部分が殆どだ)
どちらも、「不思議な体験」に振り回される。何か起きるし、それには打ち勝てない。
「忘れないと誓った僕がいた」は忘れていくという記憶の脆さを。
「Caling You」は、時間や距離のもどかしさを。
それから、飛行機の中で観た「君と100回目の恋」という映画。それもまた、時間と記憶が鍵になっていた。時間、記憶、失われると返ってはこないものだ。捻じ曲げるのは難しい。だから儚い。
しかも、どの作品も、そういうものに打ち勝てないもどかしさが、重い。苦しみから帰ってくるための鍵は、自分しかいない。でも、それが、美しい。
これ、「君の名は。」は、そんな既視感があったので、絶望を身構えながら見ていた。
三葉はきっと、瀧君がどんなに頑張っても死んでしまうだろうと。
違った。死ななかった。未来を変えてしまったな。未来を変えてしまうのか。
寝ているときに見た夢をメモしているわたしにとって、わかる、寝ていたときの記憶はない。そのうち消える。そのうち消えちゃうことをやって、それを自分の手の届かない場所に書き記す。
夢とかなくても、自分が生きていても、記憶は案外、そういうものなのかもしれない。
そうだよな。しかもデジタルは儚い。
時間、歴史を学べとはいうものの、歴史を学んだらどうなるのかってわからないけれど、
未来から見返して初めて分かるのかもしれない。
だから思うのだけど、「先回りして考える」というのは、結構大げさな作業だ。起こったことを変えたくて必死になれるのかもしれないけど、起こっていない出来事を変えるために行動を起こすのは大変なことだ。勇気もいる。
ああ、あと、テッシーは湖が千年以上前に隕石が落ちたときのものだということを知っていたし、信じてくれたし、意気投合してくれたし、彼がオカルト好きで電気ヲタクだということがどう考えても運命にしか思えない。
持つべきものは友人…というより、頭が狂ったようにしか見えない友達を、それでも信じられるかどうか、かもしれない。彼の行動がとても素晴らしいよ。
話し方で、性別とか人格とかわかるものだな。三葉が方言だったから、というのが大きいのかもしれないけれど、それにしてもすごいなあ。
本来の伏線ってこういうものなのかな、わたしはこういう伏線が好きだなとか思った。
ただの、幻想的な風景を描いただけ、だと思っていたら、伏線だった、みたいなもの。
あああ、これ、、、、ってなる。まあどちらも、結局一緒かな。
頭を使いながら観る、考えているうちにいつの間にか引き込まれていく、というのは、わたしとしてはどちらも同じだ。だから面白いのかもしれない。
その点、やっぱり映像は、記憶と時間の芸術なんだよな、
RADWIMPSの音楽もすてきでしたね。この聞いたことあるのは何なんだと思ったら、そうか、あなたがたでしたか。という。だから若い人にウケているのかな。
ああ、あと名古屋駅!名古屋駅は一瞬しか映っていませんでしたが、一瞬ででわかりました。乗り換えであんなあからさまな場所を映してくれるの、すごい。あそこ通るんですよ、在来線と新幹線の乗り換えで。見ているわたしがあんなに名古屋駅で喜んでしまうのもおかしい。特急ひだもお世話になっているし、さるぼぼ、ああ、なんかもう、なじんでいる感じが、なんとも…。
…やっぱり、取材、取材、下調べ、なのだな。
創作は日常に彩りを与えます。もうちょっといろいろ映画観てみようかな。
結局、アマゾンでレンタルしました。高画質じゃなくて、普通のほうで。画質わっる!!と思ったのは最初のほうだけで、あとは大丈夫でした。
そもそもこの映画、パリでも去年の今頃には映画館で上映していたのだ。去年は本当に友達らしい友達がいなかったし、流行ものを追いかけたら負け、みたいな気持ちがどこかにあった。いやいや流行をあえて取り入れないことは流行の流れに逆らうことではないんだよ、知ってそれに同調するかどうかの問題だ、と最近は思う。でも長年「追いかけたら負け」という気持ちで生きてきたもんだから、なかなか変えられないものです。変えていきたいんですけど。
というわけで、君の名は。を見たわけです。よかった。まさに今さっき観たところ。
わたしはネタバレというか、できればあらすじすら見たくないので、全然ネタバレ見てなかったんだけど、よかった。
というわたしは、ここに書きたい放題書くだけで、9割9分ネタバレだと思うので、まああんまり期待しないで、ブラウザを閉じて自分の時間を大切にしてほしい。
メモ
見ながらメモを取っていたのでそれも晒す。暗闇でシャープペンシルを走らせても、書けているかいないかわからなくて、筆跡しか残っていないところもあった。解読不可能。途中で書くのをやめてしまってからは見入っていたようだ- 効果音すごい
- 無音からの、BGMは効果的
- 放送なつかしい
- いと
- せかいのりんかくがぼやけて ひととひとのあいだに
- ひとではない
- 「たまらんなあ おたがい」
- 「そりゃうれしいやろ」
- 「ないや!ある!」
- 「トイレ行きたい。」
- 「わたし、わたくし、ぼく、おれ」
- 「天井の木組みがいいね」
- 「日記付けとる。まめやなー」
- 写真撮ってすぐ消える描写
- 「いないんじゃなくて、つくんねーと」
- カタワレドキ
- すいせい
- 「バカにしやがって」
- デジタルは消える
- 名古屋駅だ!
- 「おまえはだれだ」
最近「バカにしやがって」ってセリフ、個人的に使ってたんですけど、元ネタこれじゃないんですよべつに、自発的に使ってたんです。でももしかして、ここから来ているのか…?それを誰かが言って、わたしが思い出して使っているんだとしたら、流行ってすごいな…記憶って怖いな…。
パンケーキの写真撮ってパンケーキ本体がすぐに消える(既に食べちゃってある)という描写が、本当に、わかる。ああいう感じだ。ああいう感じなんだよな。
あと、男の子が日記付けてるのって、あんまりなさそうだと思ってたけど、偏見なのかな?
既視感
メモ取りながら既視感を感じていた。映画じゃなくて、昔読んだことがある本。まずひとつが、平山瑞穂さんの「忘れないと誓ったぼくがいた」。(これ、映画化されているだなんて知らなかった。)
それから、乙一さんの「Calling You」という短編。(わたしは「失はれる物語」に載ってるものを読んだ。Caling Youが表題になっているやつもあるみたい。)
どちらも、「不思議な体験」に振り回される。何か起きるし、それには打ち勝てない。
「忘れないと誓った僕がいた」は忘れていくという記憶の脆さを。
「Caling You」は、時間や距離のもどかしさを。
それから、飛行機の中で観た「君と100回目の恋」という映画。それもまた、時間と記憶が鍵になっていた。時間、記憶、失われると返ってはこないものだ。捻じ曲げるのは難しい。だから儚い。
しかも、どの作品も、そういうものに打ち勝てないもどかしさが、重い。苦しみから帰ってくるための鍵は、自分しかいない。でも、それが、美しい。
これ、「君の名は。」は、そんな既視感があったので、絶望を身構えながら見ていた。
三葉はきっと、瀧君がどんなに頑張っても死んでしまうだろうと。
違った。死ななかった。未来を変えてしまったな。未来を変えてしまうのか。
時間と記憶
ふたりが、お互い入れ替わったときに、起きた出来事を伝えるために、メモを残した。寝ているときに見た夢をメモしているわたしにとって、わかる、寝ていたときの記憶はない。そのうち消える。そのうち消えちゃうことをやって、それを自分の手の届かない場所に書き記す。
夢とかなくても、自分が生きていても、記憶は案外、そういうものなのかもしれない。
そうだよな。しかもデジタルは儚い。
時間、歴史を学べとはいうものの、歴史を学んだらどうなるのかってわからないけれど、
未来から見返して初めて分かるのかもしれない。
だから思うのだけど、「先回りして考える」というのは、結構大げさな作業だ。起こったことを変えたくて必死になれるのかもしれないけど、起こっていない出来事を変えるために行動を起こすのは大変なことだ。勇気もいる。
ああ、あと、テッシーは湖が千年以上前に隕石が落ちたときのものだということを知っていたし、信じてくれたし、意気投合してくれたし、彼がオカルト好きで電気ヲタクだということがどう考えても運命にしか思えない。
持つべきものは友人…というより、頭が狂ったようにしか見えない友達を、それでも信じられるかどうか、かもしれない。彼の行動がとても素晴らしいよ。
入れ替わり
体入れ替わり系(?)だということをすっかり忘れていた。演じている声優さんがすごい。自然。女性の体で男の子の声を出すのはまだしも、男性の体で女の子の声を出すことってそんなにないだろう。両声類ってだいたい歌のイメージだし。話し方で、性別とか人格とかわかるものだな。三葉が方言だったから、というのが大きいのかもしれないけれど、それにしてもすごいなあ。
伏線
けものフレンズの11話の伏線回収がやばい、みたいな話、あれはあれで好きなんですけど、あれが本当に伏線というのかはよくわからないよね。本来の伏線ってこういうものなのかな、わたしはこういう伏線が好きだなとか思った。
ただの、幻想的な風景を描いただけ、だと思っていたら、伏線だった、みたいなもの。
あああ、これ、、、、ってなる。まあどちらも、結局一緒かな。
頭を使いながら観る、考えているうちにいつの間にか引き込まれていく、というのは、わたしとしてはどちらも同じだ。だから面白いのかもしれない。
その点、やっぱり映像は、記憶と時間の芸術なんだよな、
おわり 自分の話
時間と記憶、時間と記憶ってすごく最近、大事だと思っていた。メモ書きの重要性とか、あと、音楽だって時間と記憶の芸術であるし。で、それを、こんなにロマンチックには、考えたことがなかった。RADWIMPSの音楽もすてきでしたね。この聞いたことあるのは何なんだと思ったら、そうか、あなたがたでしたか。という。だから若い人にウケているのかな。
ああ、あと名古屋駅!名古屋駅は一瞬しか映っていませんでしたが、一瞬ででわかりました。乗り換えであんなあからさまな場所を映してくれるの、すごい。あそこ通るんですよ、在来線と新幹線の乗り換えで。見ているわたしがあんなに名古屋駅で喜んでしまうのもおかしい。特急ひだもお世話になっているし、さるぼぼ、ああ、なんかもう、なじんでいる感じが、なんとも…。
…やっぱり、取材、取材、下調べ、なのだな。
創作は日常に彩りを与えます。もうちょっといろいろ映画観てみようかな。