我々はどこへ向かうのか
ハンブルクに旅行に行ってきました。帰ってきて、なんだか夢を見ていたような、そんな気分です。旅行のことは追々書きたいのだけれど、日記を書いたりすることも放棄していたのでそこからまず追いつかねばならず、でもそれをやらなければすべて記憶の彼方に消えていきそうで、それは嫌だなと思って、手帳に日記というかメモ書きをして残そうと思って、います。 それを思いながら手帳を開きながらこうやってブログの編集画面を開いているのですから、まあ、後回しにしがちです。 ひとりでは生きていけない、ということをすごく感じています。ひとりだったらフランスで音楽を勉強するとか言って好き勝手過ごすことはできないし、生活すらままならないだろうし、こうして旅行をするときに先輩によくしていただいたりだとか、普段からSNSで誰かと言葉やいいねを交わしたりしていることとか、もっと究極を言うとわたしが食べる何かを作っている誰かや電車を運転させている鉄道会社の人とか政治家とか、とか、いろいろあるけれど、とにかく一人では生きられない、一人では生きられないということを強く思います。それはなんだか、とても不自由で、不自由であることを認めなければ先に進めないのだと思っています。でも、私はどこに向かおうとしているのでしょうか。 私は音楽がしたいです。でも音楽をしたいなら、孤独に頑張ることも絶対必要です。でも孤独感にさいなまれていては、努力の質が落ちることはわかっています。でも、だれかにプライドを傷つけられてへこむくらいなら孤独なほうがいいのかもしれないとか。プライドってなんなのでしょう。 わたしは本当に音楽がしたかったのでしょうか。一人になりたくない、誰かと一緒に居たい、でも集団は嫌だ、そういうわがままをいって、たいして努力もせずにじっとパソコンの前で座っていろいろやっているだけの毎日よ、なんなんでしょうこれは。自分の音楽でもってすべてを打ち負かしてみたいものです。でも誰を負かしたいのでしょうか。勝ち負けってあるんでしょうか、それって、一体なんなんでしょうか。 Showroomの配信を最近やっていて、ファンをたくさん集める、ということは味方をたくさんつけるということだと思うし、でもファンという集団が突如現れるのではなく、ひとりひとりの関係がある、それだけだと思うのですよね、なにか、フォロワーの数が足りない…とか...