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Showing posts from November, 2017

お外でゴロゴロしたいなー。

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この頃、noteという文字や写真などを投稿できるwebサービスを使っています。「自分への取材手帳」のコラムで使うと思って、ブログの記事を転載して、練習をしていたのでした。あと、11月のお題で文化祭の思い出を書きました。 *1 特に変わった使い方はしていないのです。でも、いいところはたくさんあります。レイアウトがとてもきれいですね。プレビューがなくて、見たままの感じそのままで書けるのもよい。   さて、本題です。自分への取材手帳のリレーコラムがはじまりました。これから、メンバーの皆さんと一緒に、同じお題で、リレー形式で毎日更新します。わたしは、現時点では水曜日担当です。   ■暮らしの主導権を握れ|オーノサエ|note(ノート) https://note.mu/biiibibi3jpn/n/n20b7f3bde7e1 いま、本当に、なにもかも全然だめなんです。 一週目のお題は「暮らし・家族のこと」だったのですが、家族はともかく、暮らしのことは、本当に向き合いたくない話題で…!! 実際にわたしの取材手帳にも、家族のことは書かれていても暮らしのことについては、ほとんど何も書いていませんでした。とほほ。 ダラダラしたいけど、それがただの惰性なのかどうか、というのはずっと考えていて。考えた末、自分で主導権を持つ、というところに、落ち着きました。 この考えに行きつくにあたって、とても助けられたのは、アニメの「けものフレンズ」のライオンさん。あのアニメのなかで好きなキャラクターはたくさんいるのですが、群を抜いてライオンさんが好きなのです。   これ、もしかして、なりたい姿を投影しているのかもしれない、と。 彼女は、本当はお外でゴロゴロしたい…けど、みんなのためにリーダーっぽくしなければいけない。自分は不毛な戦いが嫌だし、ゆるい。でも、群れを思う気持ちの強い動物なので、リーダーを任されたらちゃんとするし、大事な子に手を出されたら、怒る。 わたし自身には「仲間から尊敬されている」という要素がないけれど、こういうダラダラゴロゴロで生きたい。でも、強い自分が必要な場面もある。 しゃきっとする必要のある立場や場面であっても、自分の心のどこかにある「ゴロゴロしたい」を否定する必要はない のですよね。自分の気持ちを共存...

おしり

おしりが好きかどうかといえば好きです。 わたしが「おしり」という単語からまず連想することは、飼い犬のおしりのことです。性的嗜好でも、自分のおしりのことでもありません。 飼い犬は、おしり以外の、頭や、鼻や、背中も同じように愛すべき部位でした。そのため、本来おしりだけ取り上げる話でもないのですが、それにしても飼い犬のおしりは好きです。動物のおしりはかわいいですね。 そもそも、晴れは好きか、雨は好きか、あの奏者は好きか、この曲は好きか、等々、問いかけられる質問のほとんど全てにOuiと答えるわたしにとって、好きかどうかというラベル分けは初めから無いに等しいのかもしれません。 好きなおしり以外は特に興味がないということは、わたしにとって「くすぐりが効くかどうかは、心を開いているかどうか」ということと、似ています。 思えば大学に入学して直ぐのわたしは、かわいげのない後輩でした。誰のくすぐりも効かない、笑わないけど突然泣く、先輩に失礼なことを言うし、挙句の果てに遅刻常習犯でした。ほとんど心を開くことができない日々が続きました。やっと1年生のお盆ごろから徐々に、ここには敵なんていない、と思えるようになりました。 3年生になったあるとき、とある先輩から「さえちゃん、最近笑うようになったよね」と言われ、とても喜んだ記憶があります。 先輩という肩書の方々は、なんて懐が広いのでしょうか。これまで様々な分野と世代の先輩方に、しぶしぶでも受け入れていただいたことを思うと、感謝せずにはいられません。それはまた、同期や後輩を含む友人のみなさんも同じです。 心を開くと、開いた先にあるすべてが愛しくなったりするものです。わたしにとってはそれが犬だったり、おしりだったり、人だったりするのかもしれません。またあるときは音の重ね方であったり、奏者や作曲家であったり、彼らの精神であったりするのかもしれません。 興味のないものに興味がもてるようになることは、そのもの自体に魅力があったことはもちろんですが、やはり双方が心を開いているかどうかが、大きいのではないでしょうか。 女の子の恋愛相談は、誰かを惹きつける手っ取り早い方法です。心の鍵をあらかじめ開けているから誰かに相談できて、開いてくれているからこちらも応援できるのでしょう。 わたしが、そんな相談すらしなかったのは、秘密をつくること自体に甘い感覚を持ってい...

サラハSarahah始めた話

ちょっとまえに、サラハSarahahを始めました。 ask.fmとか、ザ・インタビューズとか、そういう匿名で質問が来るものをやりたい気持ちは、ずっとありました。 どうしてやらなかったのかというと、「それ、承認欲求を満たしたいだけじゃん…恥ずかしいな…」という気持ちが少なからずあったから。 いやいや、そもそもSNSとかやっていたら承認欲求あるものだし、そういうの否定せずに丸出しでもいいかな、と思い始めたら、まあ、恥ずかしくはないかな、と思い始めて、今です。 ask.fmみたいに、答えたものを一覧で表示したりできない、という点は、いまのところtwilogのハッシュタグの機能で満足しています。その一覧が見たいのって結局自分だからそれでよいのです。 http://twilog.org/biiibibi3jpn/hashtags-Sarahah 自演してみた。自演超たのしい。さ、編曲やろ。 #Sarahah @sarahah_com pic.twitter.com/orioWo6Dx3 — SaeONO🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年11月19日 せっかく作ったのに全然誰からも何も来なかったので、自分で自分に送りました。堂々と。これ以降はぜんぶ自演じゃないです。 おはようございます…。 #Sarahah pic.twitter.com/HPUO4SC44t — SaeONO🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年11月21日 夜寝る前に頂いていて、朝起きてすぐこの通知が来るというミラクルで、結構びっくりしたりしました。 承認欲求たくさんあるほうなので、なにかもらったら、だいたい喜ぶと思います。あからさまな悪口とかは悲しいけど、まあ、何をくださいと指定できないのが、おもしろいところだと思うので、なんでもいいです。おやすみなさい。 わたしのサラハはこれです。 biiibibi3jpn.sarahah.com  返答はここです(Twilog)。  http://twilog.org/biiibibi3jpn/hashtags-Sarahah

11月26日、ジャズの本番だった

できなかったことができるようになると、どうせいつか、できなかったことすら忘れてしまうので、さらっと書いておく。 昨日ジャズの本番があった。学校でアメリカ音楽のイベントみたいなものが行われていて、そこで、ジャズのクラスのみんなと一緒に演奏させていただいた。 4曲だけ、時間を空けて2回、同じ曲を演奏した。4曲だけで、1時間くらい経ってしまう。その場にいるとそんな体感時間じゃなかったんだけど、時計を見て驚く。 2回とも同じ曲なのに、全く違った感じになる。こういうことをやってみるとやっぱり、ジャズは生ものっぽいと思う。 自分のアドリブソロ以外は、聞こえたものに寄せる、ということに徹していたのだけど、それがたのしかった。 管楽器のフロント4人で、たまに先生が入って5人で、テーマをはもったり、はもられたりする。みんなが一斉に、ぐちゃぐちゃにアドリブをしたりする。 いつもおしゃれにはもってくれる子がいて、すてきだなと思う。たまに、そうくるか!?と思う音をぶつけてくる。楽しい。 やっぱり、ジャズに限らず即興演奏は「聞いて寄せる」がミソだ。でも、ただ寄っていくんじゃなくて、わたしももっと、強引に寄せられるようになりたい。まだ会話になっていなくて、今はただ同調しているだけだ。わたしの答えをきちんと返したい。 みんなソロが上手だ。わたしはへたくそだ。 コードを追いかけて、調を追いかけて、そういう処理をその都度やっている。効率が悪い。すぐ間違える。難しくない曲のはずなのに、知ってる曲のはずなのに、全く追いつけない。 だからもっと深く知らなきゃいけないな、と思う。 あと、手癖で吹くのをやめたい。 みんな、すさまじい量のフレーズがあふれだしてきて、すごい。頭の中どうなってるんだよ。ぜんぶ手癖なのかな。だとしたらすさまじい量の手癖だな。 ちょっと前に、経験が少なくても人前で演奏することが上達の近道だからね、というようなことを、ジャズの先生が言っていた。 ジャズの本番に出させてもらうのは、昨日が2回目だ。 たしかに、本番の緊張感の中でハッとさせられたりすることは、音楽のつり橋効果みたいなものを感じる。音楽の内容だけじゃなくて、そこにいる人の、その時の体調や気分が垣間見えて、それがいつもより強くあたまの端に引っかかる。 わたしは他の人たちよりへたくそだ、へたくそ...

やっと「君の名は。」を観たから思ったこと書く

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いやいや、いつか見よういつか見よう、って思っていて。どの配信サイトで見ようかな~とか考えていたら結構な時間が経っていたやつです。 結局、アマゾンでレンタルしました。高画質じゃなくて、普通のほうで。画質わっる!!と思ったのは最初のほうだけで、あとは大丈夫でした。 そもそもこの映画、パリでも去年の今頃には映画館で上映していたのだ。去年は本当に友達らしい友達がいなかったし、流行ものを追いかけたら負け、みたいな気持ちがどこかにあった。いやいや流行をあえて取り入れないことは流行の流れに逆らうことではないんだよ、知ってそれに同調するかどうかの問題だ、と最近は思う。でも長年「追いかけたら負け」という気持ちで生きてきたもんだから、なかなか変えられないものです。変えていきたいんですけど。 というわけで、君の名は。を見たわけです。よかった。まさに今さっき観たところ。 わたしはネタバレというか、できればあらすじすら見たくないので、全然ネタバレ見てなかったんだけど、よかった。 というわたしは、ここに書きたい放題書くだけで、9割9分ネタバレだと思うので、まああんまり期待しないで、ブラウザを閉じて自分の時間を大切にしてほしい。   メモ  見ながらメモを取っていたのでそれも晒す。暗闇でシャープペンシルを走らせても、書けているかいないかわからなくて、筆跡しか残っていないところもあった。解読不可能。途中で書くのをやめてしまってからは見入っていたようだ 効果音すごい 無音からの、BGMは効果的  放送なつかしい いと せかいのりんかくがぼやけて ひととひとのあいだに ひとではない 「たまらんなあ おたがい」 「そりゃうれしいやろ」 「ないや!ある!」 「トイレ行きたい。」 「わたし、わたくし、ぼく、おれ」 「天井の木組みがいいね」 「日記付けとる。まめやなー」 写真撮ってすぐ消える描写 「いないんじゃなくて、つくんねーと」 カタワレドキ すいせい 「バカにしやがって」 デジタルは消える 名古屋駅だ! 「おまえはだれだ」 最近「バカにしやがって」ってセリフ、個人的に使ってたんですけど、元ネタこれじゃないんですよべつに、自発的に使ってたんです。でももしかして、ここから来ているのか…?それを誰かが言っ...

吹奏楽での楽譜の管理

楽譜の管理と使用 そういえば今年度から学校の吹奏楽に参加している。 吹奏楽をやると楽譜の管理ってどうなってるの?って思うのですが、うちの学校は、コピー譜じゃなくて原譜を使います。 …と見せかけて、原譜をコピーしたものを代々使っているのだと思います。原譜はおそらく厳重保管。 図を使わないでどこまで説明できるかやってみたいので、図を使わないで箇条書きで説明してみようと思う。 まず、パートごとに、大きな書類ケースがある。そこに楽譜が全て入っている。そこから、個人個人が、今シーズンで使う曲をすべて出す。 書類ケースから出した楽譜は、パートごとに今シーズン練習する曲専用の、透明のファイルに入れる。 練習が終わったら、全てのパートの透明のファイルをまとめてひとつの箱に入れる。次の練習からは、その箱から透明のファイルを出す。 本番のときは、誰かが箱から、舞台上の譜面台に置いてくれる。 *1 舞台に行く。演奏する。 本番が終わったら、楽譜をもって退場する。透明のファイルにしまう。舞台そでに箱があり、そこに透明のファイルを入れて終わり。 (予想 *2 )透明のファイルに入った楽譜を、また書類ケースの正しい番号の位置に個人個人が戻して、書類ケースから次のシーズンで使う曲を出す。 思うこと これをやってみると、個人個人でやる部分がほとんど。たぶんとても楽。でも、このやり方が軌道に乗ってしまうまでの、仕組みづくりが大変だ。 楽譜に通し番号を振り、ごちゃごちゃにならないように書類ケースにしまう、というのが、簡単そうでめんどくさい。 *3 かといって、原譜を使わないという選択肢(=使うたびにコピーして配る)というのも、それはそれで大変だ。コピーに失敗するとへこむし、無駄が出るし、しんどい。何度も同じ楽譜を使えば紙の無駄も減らせていいと思う。 おわり。またねー *1 :譜面台を並べているときはそんなことをしなかったので、置いてくれたのが誰かは分からない。自分が置くのを忘れてたのかもしれないし、先生かもしれない。 *2 :まだ終わってから1日しか経ってないし、何も言われてないし誰にも聞いてないからな、きっとそういうところが私のダメなところなんだな *3 :大学でラージアンサンブルの原譜の管理をなんとかしようと試みたことがあるけど、結局途中で投げ...

ネット中毒だよ

ちょっと思うところがありTwitterのアカウントを消しているのですが、なんで消しているかというと、どう頑張ってもやっぱり見てしまうからです。でも、これからTwitterでコンタクトを取りたいと思っていた方もいるので、どうせまたすぐ復帰させるつもりです。ああ、こうやってまた消して戻してを繰り返すのかなあ。 SNSって面白くて、別にさほどなにも流れてこなくても、検索したり、ぼーっと眺めていられて、なんだか、なんかやってる気持ちになります。満たされる。 でも、それが行き過ぎると無駄に劣等感を抱いたり、自分のツイートに対して誰かの反応があると安心したり、本当に書きたいことを書くのをためらったり、誰かの言葉を曲解して苦しんだり、無言の中になにかを見出そうとしてへこんだり、あることないことつくりだして、なんだかバカみたいな話だよな。別に誰が悪いとかじゃない。 アプリは入れないようにしているんです。だからスマホでもパソコンでもブラウザから見ているんだけど、記事のシェアのツイートが多くなったこの頃だと絶対ブラウザが使いやすいと思うんですよね。 そもそも、わたしがTwitterを始めた頃って公式のアプリを使っている人なんてほとんどいなかったのに *1 、いまは殆どの人が公式のアプリを使っていて、そのことで何度も何度も、時代の移り変わりを感じる。こうやって何故か古参みたいな気持ちでいるくせに、さほど古参でもないし。わたしはアカウントを何度も消して作り直しているので、さっき消してしまった今のアカウントは何代目かわからないし、これだけは消さないように健全に使おうと思っていたのに、結局消してるし。 生活がぐちゃぐちゃで、ふつうに深刻なネット中毒かもしれないと思うし、でも寝起きで悪夢と自分の意識を切り離すためにタイムラインを見て、現実に戻ってこられるし、あれインターネットって現実なのか?この現実と夢とインターネットの境目ってどこにあるんだよ。   今日ちょっと、「さすがにこれをやったらまずい」という自分のなかのある一線をついに超えてしまった。自分でもドン引きしているし、泣いたし、かといってケロッとしていてそんな自分に腹を立てたりしている。 こんなときでもTwitterを開いて、これはああ、中毒ってやつだな、と確信した。日常生活が破綻してまで、自分が決めたルールを...

インターネットで出会った人と、初めて現実で出会った話

昨日の話。インターネットで他人に会うの初めてだったのですが、それがちょっと不思議な感覚だったので、差し障りのなさそうな範囲でさらっと書いておく。  ことのならわし 昨日お会いしたのは、もともと言語交換をしていた人。 言語交換というものは、フランス語を学んでいる日本語ネイティブ(わたし)と、日本語を学んでいるフランス語ネイティブが、お互いに教えあうというもの。 これ、語学学習をする人にとって、結構定番の学び方らしい(留学するまで知らなかったけれど)。 わたしも、他の方の話を見たり聞いたりして、去年の今頃からアプリや掲示板で書き込みをはじめた。 わたしにコンタクトを取ってくれる方はたくさんいる。が、わたしのやり取りがへたくそすぎて、途中で途切れてしまったり、返事を送るのが億劫になったり、あまり意気投合できなかった。 昨日お会いした方とは、半年くらいゆるーくやり取りをしていた。なんとなく気が合う(合わせてくれている?)人だったので、それまでのやり取りでも嫌な感じはなかった。 わたしが話すのがとてもへたくそなので、話す練習をしたかった。なので、その方にこちらから、よかったら会いませんか?と話を出した。 昨日実際に会うまでのやり取りは、電話と文字だけ。 感想と反省 もし会ってみて「全部ウソでした~!! 全然違う人でーす!!」っていって犯罪に巻き込まれてしまったらどうしようという、疑心暗鬼な気持ちもあった。実はそういう事態への対策もちょっとしていた。 しかし、それは全部ひっくり返された。やり取りしていた感じからくみ取っていた雰囲気が、そのまんまだった。あ、そのまんまなんだ。 こんな外見だったんだ~みたいな驚きはあった。でも、ぜんぜん初めて会った感じしない。 わたしはすぐに言葉が詰まるほうなので、無言になってしまって困らせたな、とかそういう反省をしている。 どれだけ丁寧に文章を書いて取り繕おうとしても、会話になるとごまかせないなと。だめだめなことが、ばれてしまった。言いたいこと全然言えない姿を見せて、幻滅させたかもしれない。 それから、初めて会った気がしなさすぎて、馴れ馴れしすぎたかもしれないということも反省している。わたしは紙に絵とか文字とか書きながら人の話聞くのが好きなんですが、それ普通にやってしまった。いろいろしでかした...

まずは自分を勉強に慣らす / 本山勝寛著「最強の独学術」を読みました

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Amazonで注文して実家宛に送って、親の来仏に合わせて持ってきてもらった本。 いまどきkindle版がないのかよ!とか思ったので、そこだけ難点です。 読んでいると、やっぱり「計画を立て、まいにちコツコツ努力を続ける」ということに限るということ。一言にそういっても、それが難しいもので。わかりやすく書いてあって良い本です。 読んで気になったところを、すごく要約して書いておきます。 正しい目標設定 なにか目標を達成するには、まず自分で目標をつくる。 心から達成したいと思っていることをみつけたうえで、客観的に自分でもできると思う目標を立てる。 「無理だよな」と思っているものは無理で、「頑張ればできるかも」と思えるものが正しい目標、とのこと。 実践しながら計画を修正 達成したいことは、1年以内に期日を設定する。 (1年以上かかる大きな目標でも、中期目標を1年以内に。) その期日に向かって、やるべきことを考え、実行していく。 年間計画、半年の計画、一か月の計画、などどんどん細かくして、いままさになにをやるべきかわかるようにする。 実践しながら気づいたこと(無理があった、余裕を持たせすぎ など)があれば、どんどん反映させる。 フィードバックを繰り返していくことで、より精密な計画になる。  勉強時間の増やしかた ①いまやっていることを減らして、勉強の時間を増やす。「やらないことリスト」 ②スキマ時間を活用する ③徐々に増やして、長時間への耐性をつける ①やらないことリストをつくる。 やっていることを減らさない限り新しい時間は生まれない。一日は24時間しかない。 スマホの利用時間が長いなら、一日の利用時間を決める、勉強中は通知を切るなどのルールを決めて守る。 ②スキマ時間専用の勉強メニューを作ることで、スキマ時間を勉強時間に変える。 電車に乗ったら単語帳を開く、という習慣にすることで、移動時間は勉強時間に変わる。 いまはスマホアプリもあるよ! ③まずは勉強時間を増やすこと自体を目標に。 2週間ほどかけて徐々に増やし、長時間勉強することを習慣にする。習慣化すればこっちのもん。   今ある習慣と組み合わせる 何事も続けるためには習慣を作ることが大事。勉強も同じ。 何か既にある習慣と併...

手札を捨てろよ

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楽器上手くない、美人でもない、かわいくもない、かわいくなる努力もしない、イケメンでもない、美意識も低い、特別面白いネタを持っているわけでもない、協調性もない、挨拶も会話もできない、日本語も外国語も無理、非常識だし返事遅い、友達少ないし学歴も微妙、という最低の手札で人生をどう戦うか考えてるけど、これはつまり手札を捨てて新しい手札を手に入れるしかない。一枚ずつ捨てて、一枚ずつ新しいカードをひいたら強くなれるんじゃないか。わたしって天才?   天才じゃないです。のぼせないうちに、いろいろ書き終えて、寝ます。 だいたい、音楽が堪能な人ってみんな美人でみんなイケメンで、かっこいいですよね。それは総合的な美意識を磨いた結果だと思うのですが、わたしには美意識もセンスも感性もなにもないです。だから磨くしかない。 「喋るの下手だよね」って言われなくてもわかってるんですけど、すごく気にしているのでなんとかしなきゃと思っているんです。それが音楽に良くも悪くも影響していることだって、わかってるんです。文章書いていて恥ずかしくないのかって、文章は会話じゃないし、ただのネット弁慶なんです。おおっぴらに文字を書くことに慣れたら、会話だってうまくなれないかなあ。 目標、先月からも、何度も書き直してきました。何度も何度も。そのくせに達成できない目標が、ほとんどでした。目標のハードルを極限まで下げて、なんとか達成できたものもあります。 いままで、本当に成し遂げたいことは、なるべく言わないようにしてきました。多分これからも言わないし、たぶんそれでいいと思います。でも、それは、いまの論点じゃないです。 高い目標を持っていることを誇りたい自分と、どーせそんなの無理だよ!と思っている自分で、せめぎあいが続いていました。わたしに必要なのは、そのどちらでもありません。 立てた目標に向き合うことです。現実的な努力をすることです。 ああ、まじ、がんばれよ。他人ごとかよ、わたしだろ。 まずは手札を一枚ずつ、捨てるんだよ。

「ルクワチュールLe Quatour」弦楽四重奏のコメディ

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デサクセ と、 レボンベック のはなしをこのブログでちょっとしたので、またまた似たものの話を。 YouTubeでデサクセを見ていると、なぜかおすすめされるLe Quatuourという弦楽四重奏のグループ。 こんなふうに、有名な音楽に、ユーモアを加えて、演奏するグループです。クラシックだけではなく、ポップスやジャズも演奏します。 それも、おもしろく! 活動があったのは1980年から2015年。2015年に、Grand prix Sacem(ユーモア部門)を受賞しています。 もう活動していないのですが、YouTube上に動画がたくさんあります。(ただどうも違法アップロードっぽいものばかりで堂々と紹介する気になれません…) バイオリンとギターが裏表になっていて。(!?) くるっと回して持ち替えですよ。(!?!?)なかなかない発想で笑います。 (キャプチャーはhttps://youtu.be/UDgkrlrzRY0より) 持ち替えや、二人羽織や、歌ったり踊ったり…。やっていること自体や、子供みたいな純粋な発想を実行しているところも、本当にすごいのです。 動画をいろいろ見ていて思うのは、やっぱりテンポよく、切り替えよく、が大事だなあということです。これはデサクセの聴きに行った時も思いました。単に奇をてらったことをやるだけでは足りない。演出家さん、照明さんなど、その手のプロと組んでやっているから、お客さんが純粋に笑えるのだなあと思いました。   まだ続いているなら生で聴いてみたかった人たちです。弦楽四重奏でユーモア的なことをやっている人は他にもいるみたいですが、この人たちが元祖なのかも…。 デサクセにしろレボンベックにしろ、フランス発祥です。そもそもフランスが、音楽で笑いたい国なのでしょうね。

本当に受け売りでいいの? / ちきりん著「自分のアタマで考えよう」を読みました

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ちょっと前にちきりんさんの「自分のアタマで考えよう」を読みました。本を読んだら何か書こうと思っているのですが、読みっぱなしにしていました。すでにかなり噛み砕かれていて、要約するにできないよなあと思う内容。 なぜこの本を手に取ったのかというと、ちきりんさんがブログで使っている「ツーバイツーマトリクス」という表の使い方を学びたかったからです。 でも、まずそれ以前の問題、自分のアタマで考えることがどういうことなのか、というところにひっかかりました。読み終わっても特に、その部分を思い返しています。 人間、自分の持っている知識をさも自分の意見であるかのよう言いがちです。 わたしもよく、誰かの意見に共感して、それを自分の意見であるかのように話してしまいます。いいものを見て、黙って自分の知識として保存するだけでは、考える力はつかないのです。 ちきりんさんのツイートに、この本の内容とちょっと近いことが書かれていたので、引用をば… ブログを書くには、1)インプット=情報収集→2)考える→3)アウトプット=書く、という3つのプロセスが必要。多くの人は私に「ちきりんさんは何で情報収集をしてるんですか?」と聞いてくる。おそらく、最初のインプットというプロセスが鍵だと思ってるからでしょう。でもそれは違います(続) — ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2017年10月4日 承前)一番大切なのは、2)考える のところです。だから「ちきりんさんはどうやって考えているんですか?」という質問がもっとも的を射ている質問なんだけど、そういうふうに聞いてくる人はほとんどいない。みーんな「情報さえ得られたら、同じアウトプットが自分にも書ける」と思ってるっぽい。 — ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2017年10月4日 インプットの質が高くて多ければいいわけじゃないです。重要なのは処理する部分。 なんでも音楽に結び付けるのもううんざり感ありますが、音楽だって本当にそうなのです。 いい先生と一緒に勉強すればいい、というわけではありません。教えてもらったことをただただこなしていくのではなく、 何をどうしたいのか、考えなければいけないのです。 先生に教わったことを自分の持っているものとして言うことが多いです。それを続けていると、ず...

美術と音楽、こころと生活

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ポンピドゥーセンターに行きました。収蔵作品が多くて、常設展を見るだけで頭も体もくたくたでした。予定は決めていませんがまた行くつもりなので、初めて行った時の思ったことを残しておきたいです。 音楽と美術 初めてポンピドゥセンター行きました。サティの本日休演の幕間の映画のための音楽の映画、いつか見てみたいと思っていたけれどこんなところで目にするとは…(´-`).。oO サティはクラシックじゃないみたいな扱いされることが多めだけど、確かにクラシック音楽よりは現代アートに近いのかもしれない。 — SaeONO🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年11月11日 ドビュッシーは印象派の画家であるモネと併せて語られることが多いですよね。(影響を受けているのかどうかと言う部分はさておき) それを思うと、ピカソとかかわりの深かったサティがポンピドゥーセンターに展示されていることは、自然なことなのかもしれません。 音楽は時間と記憶だなとか、そういう以前から知っていたことをさもさっき気が付いたかのような気分にさせられました — SaeONO🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年11月11日 絵を見るスピードは自分で決められるけれど、音楽を聴くスピードは自分で決められない。音楽は全体像を見るためには、すべての時間聞かないといけません。映像作品も同じですよね。 ポンピドゥーセンターでのサティの展示は小さなものでした。「本日休演」の幕間の映画や、パラードが、小さなスピーカーから流れていました。 関係のない作品を見ていても、音が聞こえると意識がそっちに行ってしまうのです。視覚的な芸術(=絵や彫刻)と、聴覚的な芸術(=音楽)を、横並びで並べることは難しいなあ、と。  わたしがサティが好きだから、記憶を呼び起こしているというだけ、なんですけど。  心を引き出す 芸術家はまだ誰もみたことのない新しいものを作り出すの人だと思っていたけれど、そうではなくて、作品は鑑賞する人の受け取り方で違うんだろうな、その人が赤色を見て血を連想するか花を連想するか、感じ方の微妙な違いを熟知していて、それを視覚表現に利用しているんだなとか、音楽と一緒だなとか — SaeONO🎷 (@biiibibi3jpn) 2017...

「自分への取材手帳」の記事まとめ

はあちゅうさんの「自分への取材手帳」について言及のある記事へ、リンクを貼っていく記事です。随時更新します。 (概要) 自分への取材手帳ユーザー会(後述のリンク参照)で、ファンサイトをつくる会議をしていて、こんな「あったらいいなの意見」があったことを、ふと思い出しました。思い出すということはわたしもあったらいいなと思っていたというわけです。なので、わたしのための覚書でもあります。 ユーザー会でこれをシェアするよい方法を思いつかなかったため、仮の形としてここにいったんアップロードします。わたしのブログのなかで、「ただ誰かの記事にリンクしてあるばかりの記事」はちょっと異質すぎるので、のちのち消すかもしれません。 はあちゅうさんLINE BLOG ▼「自分への取材手帳」のメッセージ  私が今回の手帳で発信したいメッセージは「自分のデータを取ると人生が変わる」「手帳は『振り返り』にこそ意味がある」の2点です。 ▼「自分への取材手帳」に掲載されている質問の項目について 自由記入欄の使い方はSHOWROOMのコメント欄では「ダイエット記録」「飲んだお酒の記録」「自炊の記録」などが出ていました。なんでもいいので、定点観測できるものを記入し続けてみるといいと思います。 ▼「自分への取材手帳」ユーザー会について 発売予定の手帳は1月はじまりですが、このグループの中では、11月分、12月分のデータをダウンロード&印刷して使えます。 手帳好きの人も、手帳が苦手だけどこれから攻略してみたい方も是非。 「自分への取材手帳」ユーザー会 https://www.facebook.com/groups/1169872606447003/ note 「自分への取材手帳」が出来るまで https://note.mu/ha_chu/n/nd116a77fd02e 「自分への取材手帳」を作ったきっかけ https://note.mu/ha_chu/n/n661aee25a525 ほか→ #自分への取材手帳 Logmi はあちゅうが説く“振り返りの記録”を残す重要性 「自分のデータを持っている人は折れない」 https://t.co/fTYbfTovMG   @ha_chu   #通りすがりのあなた ...

死んだ……

死んだのはHabiticaの話です。ゲームです。私が死にました。これが初めてではありません。 ちょっと諸々の理由で日課ができておらず、ダメージを受けてあっけなく死にました。 「ああ~やったのにチェックし忘れていたから、チェックしていたら死ななかったのにな~!アプリから見てるとチェックしてもされずにダメージ受けることがあるけど、これは接続の問題だからHabiticaは悪くないよなあ、接続ちゃんとしてくれよ…戻すにも戻せないしなあ、戻せるのは分かってるけどそれはそれで違うよなあ」とか考え出すととにかくたくさん思うことがあり、とても悔しいのです。 今まで2度も死んで、たとえ日課ができなくても回復の薬を買って気を付けていました。 のくせに、日課をこなせない事情があるときもロッジで休むという手段に踏み込めない自分がいたりして、なんでなんだよ、と自分を責めたり。 と、ふと、わざわざゲームごときでなにムキになってんだよ、と我に返ったり。 たかがゲームなのに頭の中が大忙しです。 ゲームですらロッジで休めない、というのは、非日常であるということを認められない、というだけのような気がします。 「非日常の時でも日常を維持する」というのがかっこいいと思っていました。でも、それが成り立つのは、その人が自分が非日常に置かれていることをちゃんと認識しているからです。「自分の状態を自分で把握できていない状態で形だけ日常を維持するために躍起になる」というのは間違いではないかと、気付きました。 いろいろな素敵な人たちの習慣を見ていると、わたしもそうしたいという気持ちになります。でも、なにがどうして素敵なのかというところを掘り下げないと、ただ自分をなじるだけになってしまいます。 素敵な部分、理由を考えたうえで、それを踏まえて、自分にぴったりのアイディアなのか考えていきたいです。気を付けます。 生活にまつわるいろいろなことを日課のチェックリストに入れているので、Habiticaのライフゲージが、実際の心のゲージにも見える、ということにも気が付きました。ほんの一日気を抜いただけで死ぬことはないのです。日々少しずつできないことの積み重ねが、死に繋がっているだけのです。 死んだときは日課の見直し時だと思うので、無理な日課を消してまた生まれ変わります。おやすみなさい。

アドリブについての、ちょっとした気付きの覚書

成長というものはある道を進んだり戻ったりの繰り返しなのでしょう。なんだか、同じ道を何度も行ったり来たりを繰り返している気もしますが。 ところで、先日ちょっと気づきがあったので、それを書いておきたいと思います。 感覚の変化が書かれている以外の価値がないです。たいそうな内容ではなく、わざわざ文字にしてもわたしのできなさが晒されているだけのものです。すみません。 ジャズの授業をとっているのですが、その授業でのことです。 アドリブをやったとき、全然理解していないのにスラスラと演奏したいことが思いつくコード進行がありました。 何度繰り返しても同じものばかり吹いているわけではなく、ちゃんと、次はこうしよう、次はこうしよう、と決められました。不思議でした。 そういう感覚になることって、モーダルな曲以外ではあまりなかったのです。 吹きながら思い当るところがありました。それは日常的によく聴いているCDに入っている、とある曲と同じコード進行だったのです。 それは留学の際に餞別でいただいたCDだったので、聴いていた期間は1年ほどです。しょっちゅう聴いていたために、そのフレーズをだいたい覚えていて、 それをごまかしたフェイクみたいなことをやっていたのです。 全調で練習しようと言うのは、この感覚を12通り用意するということなのかな、とぼんやり思いました。いや、全調で練習しなければいけないことなんて、百も承知なのですが、なにか、感覚が追いついたことや、必要性がわかったことがうれしかったのです。 いい音楽を聴いて、自分の感覚をきれいなものに合わせて整えていくことは、気持ちの良いことなのかもしれません。「これを聴くべき」といわれるものにときめくことができなくても、自分を責めなくていいのかもしれません。入り口がどこであれ、すべてどこかでつながっているわけで。 周りの人よりも歩みはゆっくりですが、わずかにでも何か前に進んでいるのかもしれません。 そんなことを思いました。おやすみなさい。

レボンベックLes Bons Becsの動画

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先日デサクセのショーを見て から、そういえば!と思って、久しぶりにレボンベックLes Bons Becs動画を見ています。 レボンベックのことは、以前パイパースのインタビューを読んで知りました。 クラリネットとパーカッションによる、ユーモアあふれるアンサンブルです。 生で聞いたことはないのですが、どの動画も演奏もパフォーマンスも素晴らしく、かつかわいらしいのです。楽器が違えどわたしも真似したいアイディアがたくさんあったので、よく見ていて、クラリネット版のデサクセとも言えるかな~と思っていました。 しかしながら、よくよく考えるとデサクセとは全然違うのかもしれません。 こちらは、来日公演の動画。 動きが軽やかで、すごくアクティブですよね。ふむふむ。

11月5日「Les Desaxes SuperSaxShow」に行きました。

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憧れの、念願の、デサクセLes Desaxesを聴きました。眠ろうと思っているのに興奮冷めやらず、ブログを書いています。とても楽しかったです、本当に楽しかった…!!とても楽しかったです……… 気持ちを元気に切り替えたいときや、足取りの重い日は、しょっちゅうデサクセの動画にお世話になっていました。 気持ちが楽しいほうに引っ張られていくのです。 会場は、ALHAMBRA Parisという小さな劇場。公演は1か月の間に19日も行われていたのですが、また見たい!!と思ってしまうことはわかっていたので、最終日に行きました。 わたしが買ったチケットは二等席だったのですが、会場の方が開演直前に、前のほうの席に移動させてくれました。だから前のほうで観れました。うれしいです。 デサクセのライブのみどころ。 CDでも、動画でも、本当にかっこいいんです、でも、ライブならではのところを挙げるなら…。 曲と曲の切り替え、移り変わりがすごくなめらかで、もう、さすがです。 冒頭から、四人ともオーディションに落とされ、テキーラを飲んで、どんどん酔っぱらって、いろいろな曲を演奏して、場面が切り替わっていって、でも全て夢だった…という、いわゆる夢オチで終わり、またオーディションの場面に戻ってくる。なんなんだ、一体。 そのはちゃめちゃな展開が、とてもなめらかです。 この酔っぱらってから夢オチまでの、最初のパートだけでも、何度もソプラノとアルトの持ち替えがあったのです。持ち替えがスムーズすぎます。 あれ?さっきまでソプラノ吹いてたのにアルト?あれアルト吹いてたのにソプラノ…?いつの間に…? これは四人の演技力だけではなく、演出や照明、それから後ろで流すオケの使い方の効果も大きいのだと思います。それにしても、どこもかしこも、抜かりないのです。笑いに集中できる意識の導き方ですよ、これは…。 表情と会話 今回の公演は「全ての言語に」とのことで、セリフがほとんどありませんでした。 冒頭に、オーディションの審査員役の人の声が流れていますが(英語)、デサクセの四人が具体的に話す言葉は、Yes!Next!Hello!など、かんたんなものばかりです。 でも、ストーリーがあり、そのセリフとして、サックスを吹いています。サックスで表現しています。 もちろん演技もありま...

送金する?しない?滞在許可証申請での経済証明をどうするか考えた。

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結論:トランスファーワイズという、海外送金サービスを使って、送金しました。 どうしても自分が選んだ手段の紹介記事みたいになっちゃうので、あらかじめそのお断りです。 結論からして、手数料が一番少なかったのがトランスファーワイズでした。これ、紹介キャンペーンをやっていて、紹介された人は500€相当までの送金の際、手数料が無料になるそうです。紹介者は3人紹介すると報酬がもらえるしくみ。あざとい。ちなみにわたしからの紹介URLは こちら 。 本題: フランスの口座か、日本の口座か 滞在許可証の申請には、銀行の残高証明が必要になるので、どうにかしなければならないのです。2択でした。フランスの銀行にお金を入れるか、日本の銀行の残高証明を法廷翻訳するか。 銀行からの送金には、手数料が数千円かかります。さらに、為替手数料というものがあります。たくさんのお金を送るほど、為替手数料がかかる仕組みなのだそうです。 そこで、送金をせずに、日本の銀行の残高証明を法廷翻訳して、提出するという方法もあり、その方向も考えることにしました。 *1 わたしもなるべく、手数料をかけたくなかったのです。あわよくば、協力してもらう家族にも余計な手間が少ない方法を選びたかった。なので、ここで比較検討です! 法廷翻訳の詳しい料金を提示している方が少なく、だいたいの値段ですが、こうなりました。 自分が必要な金額によっては、送金するよりも日本の銀行の残高証明を法廷翻訳してもらうほうが、安くつきそうです。 法廷翻訳ほうが、家族に頼む手順が多い(発行してもらう・送ってもらう)けれど、 トランスファーワイズで送金する方法のほうが自分でやる手続きが多めです(振り込んでもらう部分だけ)。なので、今回は トランスファーワイズ でフランスの銀行口座にお金を送金して、その明細を印刷して持っていくことにしました。 トランスファーワイズとは トランスファーワイズは、お金自体は国境を越えずに、誰かの送りたいお金を国境の中でやりくりする仕組み。ライフハッカー日本版の記事 *2 の説明がわかりやすかったので、引用を。 日本にいる私はオランダの口座に10万円に相当するユーロを送金したいと思っています。そこで私は海外送金するのではなく、TransferWiseの日本の口座に10万円...

生み出し続ける生き方を / ちきりん著「未来の働き方を考えよう」を読みました

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雇用年齢の延長の背景にあるのは、国の財政の問題です。 年金を払うのが難しいがために、働く期間を延ばそうという発想。本来、働き方は人それぞれ違って当然のはずなのに、そんな勝手に決められていいものなんでしょうか? ちきりんさんの「未来の働き方を考えよう 人生は二度生きられる」は、そんな働き方について問題提起をした本です。   大企業から個人へ、国内から国外へ これまで、大企業はビジネスに必要なインフラをすべて社内に整えることが強みでした。しかし、現在ではさまざまなサービスの登場、インターネットの普及で、個人でも会社としての体制を整えることが簡単に。広告の業界でも、クチコミなどインターネット上の情報の影響力が上がったため、個人でも安価で効果的な宣伝をすることが可能になりました。 また、グローバル化が進むことによる働き方への変化も。日本にあった仕事が海外に流出したり、海外の常識が取り入れられたり。質の高い教育をインターネット上で受けられるサービスや、コンサートの動画動画配信など、途上国と新興国の知的な格差は埋まりつつあります。先進国生まれであるという優位性は減り、さまざまな分野で競争が激しくなることでしょう。 ストック型からフロー型へ 平均寿命が伸び続け、人間は何歳まで生きているのかわかりません。満足な貯金を考えると、きりのない額になってしまいます。一方で、お金がなくても生み出せる人であれば、長生きして貯金がなくても、その都度稼いで暮らすことができます。 時代は 貯金を作る=ストック型 から、 自分でお金を生み出す=フロー型 へ、徐々に移行していくとのこと。 長生きの可能性が高まると、いくら貯金=ストックをもっていても不安は尽きないけれど、稼ぐ力=フローを得る力がある人は、ストック 型の人より安楽に構えていることができます。いわば、「過去に貯めた資産をもつ人から、稼げる人へのパワーシフト」が起こるのです。(No.857-860) そのため、青年期では貯金を作るために働くのではなく、自分の働く体制を整えるための仕事に。自分に稼ぐ力があれば、体制を整えたその後は、 別の働き方を考えてみることもできる。 常識を捨てる。価値を生み出す。 60~70歳の定年まで同じ職場で働くのではなく、引退の方法を考えてみましょう。たとえば、40...

「自分への取材手帳」を、メモ書き習慣の入り口に

「自分への取材手帳」とは、ブロガー・作家のはあちゅうさんがプロデュースする手帳です。今年12月に発売予定とのことで、Facebookのユーザーコミュニティ、動画配信サイトでのオンラインワークショップがスタートしています。 なぜわたしが、そんな柄にもなくキラキラしたものに手を付けているのか。なぜなら、わたしもそのユーザーコミュニティへ参加させていただいているからです。 きっかけは、はあちゅうさんのこのツイート。情報少ない。 12月発売の「自分への取材手帳」のユーザーコミュニティ始めました。(無料です。)手帳好きの方、SHOWROOMでの手帳朝活に参加される方、申請ください~。 https://t.co/T0luGcDmn1 — はあちゅう (@ha_chu) 2017年10月19日 オンライン上で人が集まっている場所とは一体どのようなものなのか、興味本位と手帳好きという気持ちが五分五分で、勇気を振り絞って初めてこういう場に飛び込みました。入ってみるとびっくり、すでにたくさん書き込みがされていて、ちょっと背筋をしゃきっとさせました。 おそらくメンバーの大半がはあちゅうさんファンです。わたしもはあちゅうさんのことは好きですが、それほど熱い想いみたいなものはなく、相容れない感じもちょっとあります。 でもそんなこと気にせずに居座っています。そういう人がいたって、いいじゃないですか。 このサロンに入ると、発売前のページをお試しでダウンロードできます。せっかくなのでわたしも使い始めました。   忘れそうな事柄を、紙の上に #自分への取材手帳 はじめました。自分の思考って空気みたいなもので、書き出そうとしても見過ごすことが多いのです。いたって普通な項目が、忘れかけの事柄を紙の上に繋ぎとめてくれそう。ちょこちょこ続けてみます。 pic.twitter.com/J5xTYLvHHb — SaeONO🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年10月31日 質問の内容は、特に画期的なものではなく、といっても、ぼーっとしていたら見逃してしまいそうな事柄。レストランにあまり行かないので、食べたかった食べ物も忘れていました。なるほどなるほど…。 みんなで一緒に、がたのしいらしい この手帳、まだ詳細が発表されておらず、...

ルーパーを使って演奏しているサックス奏者

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わたしがルーパーに興味を持ったのは、大学の先輩にルーパーを使っていた方がいたからです(先輩お元気ですか)。 先輩はサックスだけでなくビートボックスも堪能だったので、そりゃ、ルーパーに行きつくよなあ、と、思いました。でも、先輩がルーパーを操っている楽しそうな姿に感銘を受け、わたしも後を追いたくてルーパーを買ったりました。 ルーパーはその名の通り、ループさせる機械で、演奏したフレーズをループさせてつかいます。BOSSから出ているループステーションLoopstationが有名です。 わたしが持っているのもループステーション。 ルーパーを使う人でも、サックスを吹く人はいないことはないのです。 サックスを吹くことを主軸においていて、かつ ソロ でルーパーを使いこなしている人って、あまり見つけられないのです。 今のところ、当てはまる人を二人しか知らないので、その二人のことについて書きます。また新しい人に出会ったら、追記していきたいと思います。 ギヨームペレGuillaume Perret 学校の友達が「ギヨームペレって知ってる?」と言ってきて、教えてくれた奏者。フランス人。 ルーパーのほかにも、エフェクターをたくさん操って、エフェクトをかけながらループしています。エフェクター使いこなせると、なんだかとても夢が広がります。 ライブ。手元でときたまシーケンサーらしきも何かを操作していますが、それ以外はサックスをたたいたり、エフェクトをかけて撮り重ねたものだけで演奏しています。 楽器をたたいている音にエフェクトをかけて変化をつけるなんて、思いつかなかったです。もう発想がすごいです。 これを完成させるのにすごい試行錯誤があったんだろうなあ…。 静かな曲も。 セリーヌ ボナシナ Céline Bonacina 同じく、フランスのサックス奏者です。主にバリトンを吹いているかた。 かつてわたしがバリトンサックスを吹き始めたころ、彼女の動画に釘づけになっていたのです。ちょうどそのころから日本にもCDが輸入され始めたのです。 彼女は先に挙げたギヨームペレ氏のような、機械的なエフェクトを駆使する奏者ではなく、自分で音色や奏法を変える奏者です(音色の使い分け方は、クラシック奏者のそれですよね。) どんな音色で吹いていても、本当にかっ...