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Showing posts from July, 2017

Ravel 弦楽四重奏の録音(Quatour Habaenra)

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私も大学時代にラヴェルの弦楽四重奏を編曲しようとしたことがあります。 その時は全楽章を編曲することは出来ず、やっとの思いで1楽章だけ完成させました。それでは尻切れトンボだろうと、見かねた先輩が4楽章を編曲してくださり、大学内での演奏会で1楽章と4楽章のみ演奏しました。 サックスでの録音は、オーレリアとトルヴェールの録音を聴いたことがありました。(トルヴェールは1楽章だけだったけれど) 私が「ラヴェルをどうしてもやりたいけれど、二楽章はどう頑張ってもサックスでは表現できない」と話したら、師匠が「ハバネラがピチカートをスラップでやっていたよ」と教えてくださったのです。それで参考にしたくて録音を探していたのですが、私の探す力がとても弱すぎて、見つけられませんでした。 それから月日は流れ、 先日のスタージュ です。ハバネラのソプラノ奏者クリスチャンヴィルトゥChristian Wirthさんが持ってきていたCDがまさにそのCDでした。買いました。とても嬉しかったです。 スタージュが終わり下宿に帰ってきて、やっと聴くことができました。 気になっていた2楽章だけでなく、全楽章においてピチカートをスラップで演奏していて、これがとてもきれい!それから、トレモロの表現をしているダブルタンギングも、同じくトレモロをフラッターで表現している部分も、どちらも曲に馴染んでいる。こうやって、特殊奏法を、奇抜な効果としてではなく、自然に取り入れるのってほんとうに素敵じゃないですか…。 私(たち)は、あまり必死に吹くことにならないように、音域や音型も若干変えたりしていたのです。でも、そういう書き換えがすくない。そのうえでこの余裕を持って演奏されているので、ほんとうにすごいです。楽器についてもうよく知っている人が編曲と演奏をやるなら、楽器の気持ちいい鳴らし方も知っているし、難しいままでも実力で乗り切ってしまう。言うことないじゃないかと。 今まで編曲ものがうまく演奏できないときに「これは編曲が悪いんじゃないの?」と思っていたけれど、決してそれだけではないですね。編曲ものの演奏がつまらなくなるのは、演奏者の技量が足りない部分もとても大きいのだと。原曲の楽器がどういう演奏をしているか知って、加えて自分の楽器がどういう音を鳴らすのか把握し...

スタージュに参加しました。/ 28éme Université Européenne de Saxophone à Gap

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去る7月17日~28日、フランスのギャップGapで開催された、28éme Université Européenne de Saxophoneというスタージュ(講習会)に参加しました。 ヨーロッパ以外からの参加者も多く、合計17か国54人ものサックスを学ぶ学生が集まりました。 連日、名だたる先生方の個人レッスンを受けたり、アンサンブルをしたり、先生方の演奏会を聴きに行ったり、学生で演奏をしたり、とても贅沢な時間でした。 写真はギャップの駅近くの踏切からの眺め。 ギャップはパリから電車で7時間ほどの場所にある、山に囲まれた小さな町です。  実は初日の早朝、下宿で突然熱をだしました。が、薬を飲んで二度寝してなんとか熱を下げ、参加できました。よかったです。   期間中に自分が得たことを、このブログにも書ける限り書きたいと思います。 UES2017の記事 ■ サウンドペインティングってなに? ■ デクルックのソナタの解析

読みやすい文章の書き方を考えている

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自分の文章を読み返して、これ読みにくいな…と思っています。 文章の書き方や言葉の使い方について書かれた本を参考にしながらどこが悪いのか考えてみました。 参考にしたのは、この3冊。 ・高橋恵治著「本を書きたい人のための文章の基礎技術」 ・木村恵一著「ストレスゼロの伝え方」 ・芝本秀徳著「誰も教えてくれない書くスキル」 意識していながらできてないこともありますが、自分の意識が薄かったところを箇条書きにします。 ・文が長いと読みにくい(→文を分ける) ・意味が多い(→一つの文章に一つの意味に絞る) ・自分と違う背景で読む人のことを意識する。 ・下調べを入念に行う ・読みやすい流れを意識する ・引用された文章はその原典をあたる ・推敲して余分な言葉を省く ・思う、考える、を多用せずに言い切る ・熟語動詞を使わない(開催する→開く など) ・曖昧な表現を避けて具体的にする。 ・文中で言い訳しない ・書く前に「要するに何を言いたいのか」はっきりさせて、考えてから文章を書く。 ・文章の構成を整える ごめんなさい。これから意識して直します。 これは読みやすくなりそうだと思ったアイデア。 ・5W1Hに、Worth(価値)という観点を付け加えて、読み手に価値がもたらされるか考える。 ・複眼的思考(自分の意見と反対の意見も併せて述べる) ・文末に変化を持たせる。(~です。~でした。~でしょう。など) ・小見出しだけで全体が把握できるような、小見出しの付け方をする。 ・伝えることではなく、相手に伝わることに重きを置く ・自分の言葉で伝える相手の頭の中を整理する。まずはじめに、伝える目的を伝え、そこから深めていく。 ・ストーリーをつかうことで、心が動きやすくなる。 ・相手に高揚感を与えることを意識する。(単調なものはつまらない) ・綺麗な文章を書く人がどうやって文章を書いているのかを盗む。 ・一度書いたものを捨てて、もう一度書く がんばります。 「本を書きたい人の基礎技術」は、細かい部分が多めです。国語的な部分。 それに対して、「誰も教えてくれない書くスキル」は、文章の組み立て方に焦点が当たっています。 ...

てんやわんや対策(1)

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てんやわんやすることが多いです。いまにはじまったことではないけれど。これってどうしようもないんだけど、どうしようもないっていってゆるされるわけでもないんだよね。 こちら(留学先)に来てからことあるごとにトラブルを自分から巻き起こしていて、色々なことに手こずっているから思うのだけど、うっかりしてる人(わたし)は結構生きにくいと思う。日本は行政やサービスがしっかりしているから、わりとぼーっとしていても何度も通告してくれたりすることが多いけれど、銀行から手紙が来ない…とか、役場から連絡がない…とか、全部自分で気を付けて管理しないといけない。この一年、ちゃんと管理できていなくて、周りの方に迷惑を掛けてしまうことが多かった。 とはいえ、きちんと自分で危機管理ができる、ふつうの、しっかりしている人なら全然問題ないのだと思う。しっかりしている人がこちらで出会った日本人の方にもたくさんいるけど、どんな小さなこと対しても「なんとかなるよね~」みたいな感じで流したりしない。普段から危機管理みたいなのをちゃんとしているんですよね。 私も「うっかりなんですよね」とか言わずに、工夫して、自分の習慣を変えて、しっかりした人になろうと思う。 きょうは、「こんなことがありましたこんなことがありました」とかではなく、「これ習慣にしたらうまくいくかな?」みたいなことをつらつら考えて書いていきます。 これを、一カ月後くらいに、進捗を書いて、反省と改善をしていけたらいいなと思っているところ。今日はその初回です。 続ける習慣 気分のいい日はできるけど、気分の悪い日はできない、みたいなことが多い。 大学の頃もできないことがあっては、壁にぶち当たって自分を消耗する、他人に迷惑をかける、みたいなことが多かったので、気分とかではなく「通常運転」ができるようにしたい。 今まではなんとなく「これは合わない~むりだ!」と思って、なし崩しにやめてきてしまったけれど、そうじゃなくて、実際に続けてみてからその習慣が効果的かどうか考えて、続けるかやめるかを改めて考える。 毎日のルーティンワークが安定していたら、普段と違う状況に置かれたときでも普段通りの自分に戻せるよね。といいな。 8月まで続けようと思う習慣、まずは初回の一か月、今までやってきたけどよかった...

どうでもいい思い出

中学校へ進学して最初の給食がミートスパゲティで、トマトベースでひき肉の入ったソースと麺だったことはすごく覚えているのですが、なんでそんなことを覚えているかというと買ってもらったばかりの制服に飛ばさないように気を付けて食べたからです。制服は冬服は買ってもらったけれど、夏服は洗い替えがあるほうがいいからということで買ってもらった分とお下がりでもらった分とあって、お下がりの制服をくださった先輩とはちょっと年が離れていたので遠い記憶しかなかったのですが、彼女は確かに背が高かったけれどこんなに大きなサイズだったのかと驚くほどの大きさでした。私が小さかったのかな。学校指定のカバンさえ、小学生の頃は憧れていたのに中学にはいると意外にもみんな嫌いそうでした。この文章を書こうとしてやっと、その給食がトマトベースのミートスパゲティだったのか肉みそうどんだったのか記憶があいまいになっていることに気が付いて、人間の記憶なんてたいしたことないんだな、わたしは制服に汁が飛ばないことだけを考えて頑張って食べていたことしか覚えていないんだなと思いました。窓から数えて二列目で、後ろの方の席でした。担任の先生が体育会系なのにとてもやさしくて人の見た目と中身の差があってもいいんだという安心感が、ちょっとずつ動き始めた頃でした。あまり覚えていないけどわたしもたまに先生からみんなの前で怒られるようなことをして、怒られるようなことをするタイプじゃなさそうなわたしはそのたびに教室の空気を微妙な感じにしました。1年生だった頃のことは、部活や体育祭や文化祭やいろいろ楽しかったくらいで、あとの学校での出来事はあまり覚えてない。今日は改行を一度もせずに読みにくい文章を書こうと思ってこんな感じにしました。読んでくださりありがとうございました。

読書メモ / 森本恭正「西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け」を読みました

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森本恭正さんの「西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け」を読みました。 日本人は農耕民族だから拍の取り方が重いとかのっぺりしてるとか、いいますよね。 私も、ビッグバンドにまぜてもらっているときなんかは、そういう話を耳にしました。ジャズの先輩から、黒人の人はそもそも歩き方にすらスイングが備わっている、そもそも違うんだと言われて、なんとかしたいと思い続けていました。 そして、そんなときは、クラシック音楽とポピュラー音楽の拍の取り方の違いとして、表拍・裏拍の重さの違いを述べられることが多かったような気がします。 この本、話の発端は森本さんが「日本人の演奏する西洋音楽」へ疑問を持つところから。 ロックミュージシャンの裏拍が重いことを発見して、ロックだけではなく、そもそも西洋音楽、ヨーロッパのことばが裏拍に重きをおいているということに気が付きます。 さらに、そもそも楽譜を見て再現していると思っていた自分たちの演奏や解釈は正しかったのか?、作曲家はどういう意図で新しい表現を作り出してきたのか?というところを突き詰めていきます。 わたしが前半のおもしろいと思ったところ。 調性音楽が何を表しているのか?調性から脱出をした十二音音楽はどういう意識があるのか?という部分があるのですが、ここです。 ドミナントとは英語で書けばDOMINANTEDつまり「優越している」ということに他ならない。では何に対して優越しているのか?それは主和音以外の他の全ての和音に対してだ。では、何を以て優越しているというのか?それは、このDOMINANT和音だけが特権上に主和音に進行できることを以てして、である。この、ドミナント=優越、という言葉が印象的に示しているように、調性音楽において、一つ一つの音は平等ではないのである。ではその頂点に立つ、主和音の中の一番大切な音、ドミソのドの音、即ち主音とはなんだろう?神だ。キリスト教的世界観において。(no.659~) 私は実際、ドミナントの意味ってわかってなかった。 しかもドミナント→トニックという何気ない流れから、キリスト教的世界観が導かれるのが、納得できるけれど、衝撃である。歩き方だとか民族性とかいろいろあるけれど、本当に色々な部分でもって、西洋音楽と西洋の人は結び付けられているの...

ひとりごはん改善(1)

そもそも料理がへたくそなので、かんたんにつくれる料理のレパートリーをもっと増やさなきゃいけないと思ってるのだけど。 でも、自分ひとりで食べるものに手間暇かけるのもなんなんだろうな~と思って、なるべく放置で完成するものをたくさん増やしてる。 簡単な作り置きおかずの本を読んだりしているけど、おもしろい。でもまあ、近所に売っていない食材もたくさんあるので、出来るのが限られてくる。 最近はまっているのは、炊き込みごはんです。 日本人で同じ学校の同期さんがさらっとつくって食べさせてくださったのがすごく!おいしかったので、真似したくてわたしも積極的に色のついたご飯を炊いている。うちには炊飯器があるので、ほったらかしでも出来上がるし、これは結構何も考えなくても食べれる。最近はツナ入れてにんじん入れてる。料理酒いれるつもりで白ワイン入れたりしてみてる。 参考にしているのはこちらのつくりかた。にんじん切らなくてもいい。 ■ 【晩ご飯のお悩み解決③】 手間さえかければおいしくなる、はウソ! 「炊き込みごはん」 …と、この記事を紹介されていたこちらの記事でした。 ■  炊き込みご飯の概念が変わった作り方 - トウフ系 それから「きょうの140字ごはん」という、わかりやすいレシピを紹介していらっしゃるアカウントがあるのですが、トマトのポワレもおいしかった。大蒜はないからつかわなかったけど、切ってあたためるだけ。トマト温めて食べるのおいしいと実感しました。気持ちだけでも大変ぜいたく。 【トマトのポワレ】鍋にオリーブ油をひき、横半分に切ったトマト(熟したものがよい)を断面を下にし隙間なく並べて蓋。中火で15分焼く。蓋を開けて大蒜を散らす。更に15分弱火で煮詰め塩胡椒。卵を割り入れ、固まってきたら鍋ごと食卓へ。汁はパンですくって食べる。 pic.twitter.com/yH68zauyGP — きょうの140字ごはん (@140words_recipe) 2017年6月23日 そう、そういえば冬の間は、皮をむいたたまねぎをまるごととコンソメひとつ鍋で、一時間ひたすら弱火で煮込むだけのスープをつくったりしていた。なんかしょげてる時に食べてた。写真もなにもない。 そんなレベルなんです...

インベスターZを読むと、ゆくゆくはお金のことに詳しくなれそう

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kindleの読み放題サービス、kindle unlimitedに登録したので、そこで読んだ本のはなしです。今日はただの感想です。 以前は無料期間中にやめちゃったしいつ解約するからないし、読み放題リストからいつ消えちゃうかわからないので、名前しかしらない本やらなんやらをとにかく読んでいます。 それで、インベスターZも読み放題にはいっていたので、読みました。 三田さんの漫画はドラゴン桜ですら読んだことがなくて、でもこの漫画を何故知っているのかというと、作者の三田紀房さんの書いた電子書籍を読んだことがあるから。 それは「残業しないで人の二倍仕事する技術」と「型にはまれ!」の二冊。 その両方で、このマンガについて書かれている。 三田さんは、別に最初から投資が好きだったわけでもなく、おもしろさを追い求めた結果この作品を考えついたのだという。 そういうことがハキハキと書かれた文章を読みながら、なるほどね~読んだことないけどそうなんだろうな~とわたしも思っていた。 …それで、読んでみたのだけど、たしかに、おもしろい! 中学生が投資をするというハチャメチャな設定なので、読者も読みながら理解できるよ! 1巻から主人公と一緒にお金のたどった歴史をたどっていくし、おかげでなんだかかしこくなれる気がする。 いわゆる学習マンガって、内容とお話のバランスが偏るとちょっとつまらなりがちなのだけど、これはそうじゃなくて、ふつうのマンガとしてのバランスが取れている。さすが、マンガのつかいかたを心得ているな…と思いました。 三田さんの画風はわたしの好みではないけど、絵の画風以外にも構成とかストーリーとか構図とか、人の心をつかむポイントってたくさんあるんだなあと思い知らされますね。 読み放題に登録されていたのは1巻だけです。 2巻以降も読みたい…買おうかとても悩む… けどまた今度ね。

本当に「借りた本より買った本」なのかな?

誰かに、この本にこんなことが書いてあった気がするよー、と話すとき、だいたい買ったことのある本なんですよね。 大学で借りた本の一部分に何かすごく面白いことが書いてあったとしても、それが図書館の本棚のどのあたりに置いてあって、何色の表紙で、どのくらいの分厚さだったかは覚えていても、具体的な本のタイトルや著者名は全く覚えていなかったりする。高校生の頃に読んだすごく良かった小説を思い出しても、そのストーリーはだいぶ覚えているような気がするし、表紙の色がピンク色と紫色みたいな色でだったことは覚えている。でも、タイトルが全く思い出せない。 お金を出して買うと、思い入れができるからいい、って言うけど、たしかにそうだと思う。 でも、じゃあ、図書館で読んだ本は、なんなんだろう? プログラムノートを書いたり、何かの資料にしたいときは、部分的にしか読まないから覚えていない。 それはそう。でもそうじゃなかった本もあるはずだ。でも、やっぱり、覚えてないんだよね。 このことからわたしがわかることは、人間ほっとくと忘れてしまうから、なにか気に留まったときに記録しとくべきだということです。 いまここでブログにだらだらと本を読んだメモを書いている。それが、後からあれなんだっけなー、というときに役立つかどうかはまだわからないけど。 そもそも買った本は手元にあるからタイトルなんて忘れてても、すぐ見つけられるってだけなのかな。 おしまい

読書メモ / 為末大「諦める力」を読みました。

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こんにちは。今日もまた、kindleの読み放題のなかから、読書。 為末大さんの「諦める力」を読みました。 ざっくり、自分にどんな長所があるのか考えて、勝てる場所で戦えばいい、ということ。 ・夢中になってできる努力をするのがいいのであって苦しいのなら、それはただの苦行。それほど苦行を積んでも結果が出なかったしたら、もっとつらい。 ・人間は体や育ち方によって、はじめから得意なことが違うし、年齢が上がるにつれて、自然とできることの選択肢も狭まってくる。できないことが増えるということは、できることが深まるということでは。 ・他人の決めた価値観ではなく、自分の価値観で自分を測ってもいいんじゃないのか。 こうするよりこっちのほうがいいような気がする…みたいな、感情に振り回されることって多い。 頑張って続けているんだからあきらめない方がいい…、みたいなのは、結構ある。 上手な人が就職しようとしていると「あんなに頑張っていたのにもったいない!」みたいなことを言う人も、けっこういる。 でも結局は、自分の人生なんだから自分で決めるしかない。 自分がなにか得意だったり誇れることがあっても、世界トップレベルの人たちと比べて、自分なんかたいしたことないと決めてしまうのはどうなのか。そりゃ違うかもしれないけど、そこまで追いつくことだけが全てでもない。 諦めるという言葉がどうしてもマイナスイメージだから、諦めずにがんばるということが無条件に良しとされてしまう。 諦めるは、明らかにするということ。諦めずに頑張るのは違う。がむしゃらにやってればいいってことでもないよ。自分の得意なことをがんばろう。 ・・・ なんだか、元も子もないことなのかもしれないけど、最近本を読んだりしている人たちは、殆どの人が根本的には同じことを言っているような気がしてなりません。 他人の価値観や感情論に振り回されずに、自分の感情を頼りにする。 でも、客観的に(具体的に)自分を見て、改善する。夢中になれるほど努力する。 単に、こういうものが流行っているという時代なのかもしれないけれど。そうだったら、だんだん生きやすい時代になりそうですね。

読書メモ / ちきりん×梅原大吾「悩みどころと逃げどころ」を読みました

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ずいぶん前にですが、社会派ブロガーのちきりんさん、プロ格闘ゲーマーのウメハラさんの対談本「悩みどころと逃げどころ」を読みました。 kindleで買いました。何度も読み返していた本の紹介です。 学校教育について、学校のこういうところがいやだ、こういうことをやっても意味がない、学校がこうだったらいいのに、という議論が繰り広げられています。おもしろい。 こうして、同じだったり真逆だったりする意見をぶつけているのを読むのは、なかなか気持ち良いです。 おふたりが話していることについて、わたしもわたしなりの意見をここに書いていこうと思います。 主に、「そうだよね~」と手放しに共感するわけにもいかなかった部分をね! 先生の負け論について ちきりん 競争と言えば、ウメハラさんが授業中に寝てたのは、先生の負けなんだよね。 ウメハラ 先生の負け?なぜ?寝てたのは僕の責任でしょ? ちきりん そうでもないんですよ。だって授業っていうのは、子ども40人を前に先生という役者が劇を演じているようなものでしょ。もし劇場でお客さんが寝ちゃったら、おもしろくない芝居をした脚本家や役者のせいになる。なのに学校だと、寝てる子どもの方が悪いって話になる。おかしいと思いません? ウメハラ それは新しい発想ですね……。(no.530~533) ちきりんさんは、つまらん授業をする先生が悪いと言っているけれど、それはそうだと思う。塾の先生はつまらかったら生徒がいなくなるから常に競争にさらされている。だから、学校の先生もやるからには負けないように努力するべきだと。 おもしろい授業が出来ない理由ってなんなんだろう?と思ったのだけど、ひとつめは正直あまり勉強が大事にされてないんじゃないの?というところ。 私が中学生だったとき、私の学校であった先生方へのアンケートによると、学校で受験のための勉強をさせようという気持ちを持った先生はほとんどいなかった。たしかに全校生徒の殆どがどこかしら塾や予備校に行っていたから、勉強好きな子や頭のいい子はたくさんいた。 でも塾に通ってない子がそのアンケート結果を見て怒っていたことを今でもよく覚えている。学校は勉強をする場所じゃないのか!みたいな感じで。 先生が、学校は学校でしか体験できないこ...

Mysterious Morning IIIの特殊奏法のメモ

今年、試験で取り組んだ、棚田文紀さんのミステリアスモーニングⅢにある、私が特殊奏法のメモです。 わたしが手こずったところしかありません。殆ど手こずりました。 初めて取り組んで初歩的な部分に行き詰っていた個所を晒すだけになるので、比較的有名な曲だしこういう曲に限らずだけどこういうことを書くのはまあ、私にとってはとても恥ずかしいのですが… あまり書くネタもないし、自分の中にしまっておいてもどうかと思うので書きます。 もしまた忘れても思い出せるように、ついでにこれから練習する方で同じように行き詰っている方がいたときに、なにか参考になれば。ならないか…… むしろ、このメモには先生とわたしのふたりの視点しか取り入れられていないので、それよりこうしたほうがいいよ!というものをご存じの方がいらっしゃいましたら是非教えてほしいです。 フラッタ― [先生からの提案] ・フラッタ―の音がよく聞こえるように、極端に喉を鳴らす ・高音のフラッタ―より、低音のほうが聞こえにくいので、低音でも喉をしっかり鳴らす [わたしの考え] ・喉をひらかずに、しめる ・息のスピードに頼らずに喉を鳴らす(ようなイメージ) 歌いながらのフラッター [先生から] ・音程が下がるときに音量も下がってしまうので、意識して音量を保つ 重音 [先生から] ・ひとつひとつの音をききわけれるかどうかたしかめる ・出しやすい音量で全ての音を鳴らすことが出来たら、実際の音量に近付ける [わたし] ・息は本当に本当に弱い息を入れる ・出しにくい方を大き目に出す(ようなイメージ) 歌いながらの最低音 [先生から] ・歌っているときは喉はしまっている、楽器を吹くときは喉が開いているのがふつう。声がよく聞こえるほうがいいので、あくまで喉はしめたまま大きな声で歌い、ほんの少しだけ楽器の音色をまぜるくらいの気持ち。 ・アンブシュアの位置を見直す(咥える位置が深いほうが大きな音が出やすい) [わたし] ・大きな声を出せない→声を出す出し方を見直す。立ち方や、首の角度など ・そもそも最低音を出すのが難しい→思い切ってリードを薄いものに変える  なにかいい発想や方法をご存じの方が...

ちゃんときいてる?

フランス語のvoirは見ると会うの意味があるけれど、日本語の「みる」だとvoirとregarderがあって、 日本語の「みる」だってそりゃ違うときもあるだろうけど、voirが見る、regarderが観る、みたいな違いなのかなと思って理解している。 英語のseeとlookのような違いだと思うと理解しやすいのかもしれない。 それで、この記事のテーマは、ちゃんときいてる?だけど、日本語もフランス語も「きく」には種類がいろいろある。 「音楽を聴く」はécouterだし、聞こえてくる、耳に入れるのはentendreだ。 「なに言っているのかよく聞こえないよ!」というときはentendreで、「J'entends pas!」っていう。わたしもこれは駅で友達と話すときとか、電話が聞こえにくいときによくつかう(ごめんね)。 さらにさらに、ちゃんときいてね!というときは、regarderをつかう。「regardez-moi!」みたいな感じで先生が使っているのを聞いたことがある。これは日本語にはなさそう。 …と思っていたのですが。regarderには注意をひく、という意味があるらしくて、そうなんだ~!と思っているところです。 話がそれますが、そもそも「みる」も「きく」も日本語にだっていろいろな意味があるんですよね。 「見物する」とかも見るだし、「診る」「看る」とかもある。たしかに目で見てるけど、これはちょっと意味が違う。 「訊く」これはほかの「きく」とは日本語でもだいぶ違う。訊くことはフランス語だとdemanderになって、つまり教えてほしいという要望になる。 「利く」はちょっと違うな、ここまでくると耳とはどんどん離れていく。 それをさしおおいても、やはりフランス語だと実際に目でみること、きくことに限っても、日本語よりもずっと意識の度合に焦点があてられている。みんな小さい頃からはっきりと区別して使っているんだろう。日本語は音が同じだから大人になってから違いが判ればいいくらいの超やさしさ設計だ。どちらがいい悪いとかじゃないんですよ。 ここまでが前置き。 夕方、日が暮れていくときは、ゆっくり暗くなっていくので、たいがい部屋の電気をつけることを忘れている。 水が飲みたくて冷蔵庫から水を出して、透明...

読書メモ / イケダハヤトさんの本を三冊読みました

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イケダハヤトさんの本を読みました。 ちきりんさんの「ちきりんの日記の育て方」を読んだのもだいたい同じ理由ですが、わたしもブログを始めたのでブログをやっている人の本が読みたかったのです。といっても参考にする方向がちょっと違うかな? 読んだのは、この三冊。 「自分に自信がない人は、文字通り何をやってもダメだと思った話。」 「月130万円稼ぐ『初期投資ゼロのブログアフィリエイト』の手法をチラ見せします。」 「失敗を失敗と思わないための10の技術:完全主義をやめたいあなたへ」 どれもイケダさんがブログで実際に書いている口調や内容ほぼそのまま。ぎゅっと詰め込まれてる感じです。長さも短いので、さらっと読めます。 「自分に自信がない人は、文字通り何をやってもダメだと思った話。」   自信がないから続けられないんだよ!誰も最初から自信なんてないよ!自信がないから結果を求めちゃうけど結果なんてすぐ出るわけないよ!それでも自分を信じてやっていくんだよ!続けていくうちについていくものだし、結局自己暗示だよ!という本。 「月130万円稼ぐ『初期投資ゼロのブログアフィリエイト』の手法をチラ見せします。」   アイデアがたくさん載っています。ラクして稼げそうなことは一切書いてない。そりゃそうだわな。 たくさん記事を書いて、お金を出して勉強して、自分でも新しいことをどんどん試していこうね!という内容。超ストイック。 わたしのこのブログにAmazonアソシエイトのリンクを貼ってるし、広告を出して収入にすることには、確かに興味はある。でもこれを読んで「わたしがブログでやりたいことは、これではないなあ」と思えたので、これはこれでよしです。 「失敗を失敗と思わないための10の技術:完全主義をやめたいあなたへ」   失敗したからって落ち込むことないよ、もっと悪いことにならなかったから成功かもしれないし、よくあることかもしれないし、数年後には笑えるだろうし、ネタにもできるよ!という本。 イケダさんもたくさん失敗したと書いていて、それでも上手くいってる。むしろ、失敗したからこそ、上手くいく。失敗したからわかることもたくんある...

読書メモ / ちきりん「『Chikirinの日記』の育て方 9年間のブログ運営の舞台裏」を読みました。

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ちきりんさんの「『Chikirinの日記』の育て方 9年間のブログ運営の舞台裏」を読みました。 いまいろいろ本を読もうと思っているところなので、kindleが月額定額で読み放題になるkindle unlimitedを登録しました。実はこの読み放題サービスが出た直ぐに無料お試しで試していて、読みたい本がラインナップから消えたりしてちょっと落ち込んで、二か月目以降の登録を更新しなかったのです。 この本は、以前はさほど気にならなかったのですが、わたしもこうしてブログをはじめたので参考に読みたかったのです。もちろん普通に買ってもいいのですが、折角読み放題のラインナップにあるのならと思って、kindle unlimitedにもう一度登録しました。他の本もたくさん読むよ! 壁をつくらない言葉 専門用語や、ネットでしか通じない言葉を使うことで、壁をつくらないことをちきりんさんは心がけているという。 わたしが初めてブログを作った頃は、よく見ているアニメやアニメーターさんのサイトを見て「こういうのやりたい!」という意識が結構あって、憧れている人の真似をしたいというだけのものでした。(それはもう消してしまったけれど…) 大人の仲間入りをしたい!という欲求だったのかなと今では思うのですが、だからあえて「ネットっぽい」感じで書こうと頑張っていた部分もありました。 言葉は言葉自体で棲み分けがあるので、誰に向けて書いているのかを考えて言葉を書けば、その人たちにとって読みやすい言葉になるのでしょう。 逆手に取れば、寄せ付けないこともできる。ギャル文字が流行っていたころ、私自身はギャル文字で書かれたブログはそれほど読んでなかったから。 単語ひとつや話題ひとつとっても、そういうことの積み重ね。 自分の使いやすいほうを選んでいくと、専門用語だったり、仲間ノリみたいなものが増えていくし、仲間ノリが必要なときはそういうものをつかえばいい。 自分の考えを、伝えたいターゲットの人が読めるような、言葉をえらぶべきですね。 自分のスタンスをはっきりさせる ちきりんさんはこの本のなかで、自分がこだわっている部分をたくさん書かれているのですが、きちんと考えて決めている。 でも基本的に、どんな誘惑があっても、ちょっと嫌...

心の拠り所としての読書

ふと、自分は自分の信じたいことを書いてある本を読んで喜んでいるだけじゃないかということに気がついた。 本だけでなく、ネット上の文章でも同じで。 そして、遠からず近からず、似たようなことを言う人の本ばかり読んでいる。 そうやってなにか、「この人もこう言っているし」と考える材料にして、安心しようとしている。 いろいろな視点を持ちたいとは思っているけれど、あくまで自分の考えを補強してくれるものを選んでいる感じがする。 いろいろな人の本を読もうと思っていたけれど、それって、本当にたくさん読まなければいけなくて、果てしないなあ。 もともとたくさん読む方ではなく、同じ本を何度かたまに読み返すくらいだったので、身の回りにいた多読家の頭の中がどうなっているか気になる。読めばわかる?

TRPGってなに?リプレイノベルを読んでみた

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TRPGのリプレイ本を読みました。 何故突然TRPGが出てきたのかというと私の家族にTRPGをよくやっている人がいるから。 具体的になにやってるの?よくわからないけど?という話をしたら、リプレイノベルを紹介してくれました。だから読みました。 リプレイノベルって、将棋でいう棋譜みたいなものなのかな?と思っていたけれど、遊んでる全員の会話の内容が書いてある、記録です。それを読みやく編集した本。 わたしが読んだのは「るるいえ・あんてぃーく」というもの。 著者は内山靖二郎さん、イラストは狐印さん。プレイヤーの皆さんとのゲームの会話、ちょっとした解説が書かれています。 読んでみて、やったことないなりに面白いなと思ったので記事に書いています。 実際にプレイはしていないので、詳細な説明ではなく、こんな感じなんだね~と思ったことをざっくり書いていきます。 もしも読んでいてちがうぞ!というところがあったら、教えてください。 TRPGってなに? テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームで、 その名の通り、テーブルを囲んでおしゃべりしながら進めていくロールプレイングゲーム。 ひとりのキーパーという役割の人がお話を考えて、複数人のプレイヤーがそれぞれ割り当てられたキャラクターになりきり、その世界の中で起こる出来事をみんなで力を合わせて解決していきます。 るるいえ・あんてぃーくの場合は、「クトゥルフ神話」という概念?ルールに則って、キーパーが作った手作りのストーリーの中で、ゲームが進められていきます。 もともとある「クトゥルフ神話」の概念以外は、場面の設定からなにからキーパーが全部作る。 キャラクターのつくりかた キーパーはお話はつくるけど、キャラクターはつくらない。プレイヤーが直接うごかすキャラクターは、受け持つプレイヤーが考える。 キャラクターは数値を持っていて、その数値には、技の数値、得意なことの数値、たくさんの項目がある。 全員、最初から持っている数値(=得意なこと、不得意なこと)がみんなバラバラ。 これは、ゲームを始める前にさいころを振って決める。プレイヤーはその数値を見て、自分のキャラクターがどんな設定の人物なのかを考える。 おもしろいとおもったところ ...

タイマーのこと

音楽家として完成している人(定義があいまいですが自分の中ではわりとはっきりしている)が、1日のうちに何時間も練習に費やしていることは今に始まったことではないんです。 当然の事なんだけどぜんぜん集中できないときってあるんですよ。それがずっと続いていたりしてしまうと、もうとーってもしんどいんですよ。 そういうもう音楽家として完成している方が「まだまだ練習の時間全然足りないよー!」と言ってくださっても(こうやって言ってくださる方は本当に親切だと思います)、 そうなんだよね~足りてないのはわかっているし、実際できてないのもわかっているんだけど、なんで集中できないの?というところで思考がぐるぐるまわり,考える前にやればいいだろという話なのですがやりはじめても唐突に飽きてしまうし、その流れで無駄に自分を責め、自己嫌悪に陥り、疲れ果てる毎日ですよ。なんてこった。 まだ曲を練習しているときは多少集中力が続くのですが、基礎を練習しているときは全く集中できないんですよね。 私だって集中して出来る日はあったのに今どうしてできないんだ?と思って、集中して練習できたときはなにをやっていたんだっけ?と思い返しても全く思い出せないし、秋だから駄目なのかな?冬だからだめなのかな?春だからだめなのかな?夏だから駄目なのかな?とか季節のせいにしたりして乗り過ごしていたけれど全く役に立たず、ああ季節って別に関係ないのねと思ったりしていたんです(それは季節にもかかわらず頑張れるという望みでもあるのですが)。 それを、昨日突然思い出した。 タイマーだ!!! こういう習慣みたいなこと、意識してできている間はいいのですが、無意識にやめてしまうとまた何を習慣にしていたのか思い出せなくなってしまうので、今日はそれについて書きます。忘れたときに思い出せる手がかりを残しておきます。最近も料理の時に使っているタイマーはそのために買ってきたものなのに、それも台所の棚に入れてあってほぼ毎日タイマーを見ていたのに忘れているほどです。一度忘れると思い出すのが大変なのです。 集中したいときにタイマーをつける なにも難しいことはなくてタイマーを15分だけつけて、その間だけは集中してやるぞと決めてやることです。15分経ったら休憩する。 これは、2chの掃除関連のまとめサイト...

読書メモ / 平井富雄「ストレスと自己コントロール」を読みました。

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平井富雄さんの「ストレスと自己コントロール」を読みました。 平井富雄さんは臨床の現場で医師として活躍する関わる傍ら、脳科学の世界でも活躍し、禅が脳にもたらす影響を科学的に立証した第一人者だとのこと。 本の前半では実際の症例を、後半ではどう心の健康を保つのかが書かれています。 さまざまな症例を、実際に出会った患者さんを例に挙げて説明していて、これはとてもわかりやすかったです。 また、心の健康の保ち方については禅に基づいたものが多いです。 1988年に出版されたものなので、話に出す例えなどにはちょっと古い部分もあります。 とはいえ、心の健康を保つ対策を見ると、本当に、最近ネットなどで見かける、ストレス対策的なものと殆ど同じなのです。 それはマインドフルネスがもてはやされているからなのか、それの出所をたどると平井さんにたどり着くからだとか理由はいろいろありそうですが、やはり根本的なところは変わらないのでしょうね。 引用や要約ではなく全文読むが吉だと思うのですが、やっぱりここで気に留まったことや気づいたことをちょっと引用しながら、私の思ったことなどを書いていきます。 人より先に行きたい 建物とかホテルとか、どこでもいいですが、エレベーターに乗ります。そうすると、日本ほどあのcloseというボタンをさっさと押す国民はいない。外国ではゆうゆうと待っています。だいいち、フランスの古いホテルのエレベーターには、そういうcloseなんかついていません。自動的に閉まるまでゆっくりと待ちます。日本人はついフッと押してしまう。人より早く上(または下)へ行きたい、つまり、競争原理が無意識に支配するあまり待てない、こういう心理になる。(p156) 競争に利点はある。競争があるから進化や成長ができる。でも、日本人は競争が激化しすぎではないか?というはなし。 外国ではエレベーターのボタンが効かないボタンがあるらしいということが、phaさん「持たない幸福論」にも書いてありました(その本の記事は こちら ですが、それについては言及していません)。ささいな面でも自分が支配したいと思う面もあるし、早く行きたいという気持ちもある。エレベーターひとつで急ぐ心が垣間見えるのがおもしろい。 で、たしかに日本のエレベーターはボタン...

読書メモ / 堀江貴文「多動力」を読みました

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堀江貴文さんの「多動力」を読みました。 多動力とは、一極集中ではなく、あちらもこちらも好奇心を持って手を付けていく力のこと。そういう人がこれからは生かされるとのこと。そうやって、あれこれ手を付けていることが強みだと。 堀江さんの本を読むのは初めてだったのでなかなか衝撃的でした。 この本も、私が気に留まったところを引用しながら思ったことなどを。 バランス教育 僕が思うに、日本の「バランス教育」は子どもの集中力と好奇心をそらすようにできている。よく大人になってから「好きなことが見つからない」「やりたいことが見当たらない」という人を見かけるが、ここに原因がある。子どもが一つのことに異様なほどハマると、周りの大人はドン引きして「お前大丈夫か」と揺り戻そうとする。せっかくサルのように集中しようとしている子どもの方に手をかけ、バランスが取れたつまらない人間に矯正しようとする。これでは、好奇心と集中力が育たない。 バランス教育と聞くとなんだか耳触りがよいけど、そうじゃない。バランスが取れたつまらない人間。 堀江さんはノーベル賞を取るような研究者たちとも対談をしてきたそうですが、みんなバランスを欠いた人間だったとのこと。 しかしたしかに、集中力って小さい子ならなおさら、楽しいことしか集中できないのですよね。楽しいことだったら授業中でもずっと取り組めるのに、とは思う。 今の学校は先生ひとりひとりの負担がとても大きくて、ひとりひとりに対応できない結果、バランス教育になってしまうとおもうのだけど。 そういう積み重なっている問題がなんとか改善されて取り組めることに夢中で取り組める学校になるとみんな生きやすいのにね。 人の時間を奪う 新幹線に乗っているときや道を歩いているときに、突然何の前触れもなく話しかけられるのも迷惑だ。僕はそういうとき、不快感を露わにする。「失礼なヤツだ」と思われても、知ったことではない。「堀江さんの本を読んですごく感動しました!ありがとうございます!」と言われても、「だから何?」としか言いようがない。そんなことは感想文としてアマゾンのレビューやツイッタ―にでも書いてくれれば済む話だし、わざわざ人の足を止めて伝えるべきことではない。自己満足の報告のために、「僕の時間」を...

読書メモ / pha「持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない」を読みました

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phaさんの「持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない」を読みました。 kindleのセールで、堀江貴文さんの「多動力」を、最近話題になっているっぽいので買ってみて(こちらはまだ読んでいない)、 この本はここ数日でphaさんの圧縮新聞だとか、ちきりんさんとの対談の記事を読んだりして、気になったので買いました。 ちょっといまいろいろなことがよくわからないので、どんどん本を読んでいこうと思っているところ。 この本は全体に口調がゆるくて、意気込まずに読めるので好きです。さらっと読めてしまった。 一貫して、みんないろいろなんだから、みんないろいろでもいいんじゃないか、というような感じ。 また今回もいいところを引用させていただいて、感想とかを書いていきたいと思います。 結果より過程 「やること」というのはそれをやること自体が「目的」であって、「手段」ではないのだと思う。そこを取り違えてしまうと、何年間も一生懸命頑張って目的を達成した途端に、次に何をやったらいいか全くわからなくなってしまって虚脱感に包まれるという、「燃え尽き」状態になってしまったりする。本当は「目的」はどうでもよくて、そこに至るまでの「過程」こそが大事だったのだ。 仕事をするというのは、お金をもらうための手段ではなく、それ自体が目的、という話。結果を残しても次から次へ新しいことに手を付けていく人は、自分の残した結果に執着することもなく、ただただその作業が楽しくて新しいことをやっているという。 phaさんも、大学受験の勉強は楽しんで受かった、ともおっしゃっているので、楽しくないことを無理して頑張る必要もない、楽しむことが先決、ということなのかな。 何かを得るために頑張る→結果を残す(目的達成)or失敗→もうがんばったからなあ or こんなにがんばったのになぁ(燃え尽き) 何かを得るために楽しむ→結果を残すor失敗(どちらも通過点)→後腐れなく別のことを始める etc...(あれも楽しかったよね) みたいな、そんなことなのかなあ。 結果より過程、というのはプロ格闘ゲーマーのウメハラさんの本にも、勝つことではなくそれまでの取り組みの方が大切だというようなことが度々書かれてるのですが、 ...

読書メモ / 猪原敬介「読書と言語能力 言葉の『用法』がもたらす学習効果」を読みました

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またまた、図書館で借りてきた本の紹介を。 猪原敬介さんの、「読書と言語能力 言葉の『用法』がもたらす学習効果」という本です。 さらさら目を通していただけなので、 はたしてこれ読みました!と言えるのか、というと言えない気もするのですけど。 この本は、猪原敬介さんの大学院博士論文を加筆したものです。 読書をすることはいいことだとされているけれど、なんで?じゃあ何を読ませたらいいの?という研究です。 この本は学校教員や保育士など、専門家でない人が読むことも想定して書かれています。 なので、初めて聞くような言葉の説明や例えも、丁寧でわかりやすいです。 しかし私は学校の先生でもないし、専門家でもない人なので、 私のこの記事を読んでも本の内容については殆ど参考にならないことでしょう。 すみません。 読書は役に立つ? 結論だけ抜き出して要約していいのかわからないけど、要約。 読書は言語力を伸ばすために役に立つが、誰が何を読んでも効果的なわけではない。 バランスのとれた言語力がある上で、本人の理解できる範囲のものを読むといい。 (言語能力においてアンバランスなところ、何らかの理由で言葉が上手く使えないときは、読書以前のサポートが必要。読み聞かせも有用かもしれない) 読書は主観的体験を楽しむものであり、それに加えてたくさんの単語と触れ合う機会ともなる。 知らない単語に触れることができ、すでに知っている単語の新しい使い方も増える。 *** あとはこの本の内容の向かうところに関係なく、目に留まったことを抜き出していきます。 「直接的教授」と「用法に基づく学習」(p80~81) 語彙を増やすためには、こんなふたつの手段が考えられる。 直接的教授は、言葉そのままの意味で、親や先生から意味を教えてもらうこと。 用法に基づく学習は、周りの人がどう使うか、によって、その使い方を学ぶこと。 読書をすると、用法に基づく学習がされると説明がつく。 とのこと。 これ、が気になったのは、外国人のための外国語教育に思い当るところがあったからです。 本当にわからない単語はもちろん調べるのですが、日本語にない表現のものはを理解するのは、用法に基づく学習だな...

文章を書くことについて思うこと

今日は、思ったことを書くだけの日です。 オチもありません。 このブログを作るにあたって、どんなことを発信するのかは全く決めていませんでした。 目的としては文章を書くことに慣れたいと思っていたので、当面は毎日このブログを更新することを目標に設定しています。 とはいえ、約一週間自分で文章を書いてみて、正直上手な文章とはいえないなあ。 もっと分かりやすい文章を書きたいなあ。 先日同じ学校に通う日本人の方とお疲れ様会をして、久しぶりに他人と(!)会話をしました。 そこで思ったのは、話したいことをきれいな文章にするのは難しいということ。 私の文章(というより断片的な言葉たち)が、相手に伝わっているかというと、たぶんあまり伝わっていないだろうし。 そもそもこれは言うべき内容だったかな?と話の途中で疑問が浮かんだり。 それから、相手が話していることを、自分の頭の中で再構築するのもまた難しい。 理解しようとしながら返事するのが大変だ。もっとテンポよく言葉を返したいのになあ。 (とはいえ、私は話すことも人と集まることも相当苦手だと思っていたのに、とても心休まるひとときでした。) 今読んでいる本は論文のように、細かい説明がたくさん入っていて、難しいです。 研究の内容を正確に伝えるために、本に書かれていることはどんどん複雑になる。 でも読む人に本当に伝えたいことは研究の結果、出た結論なので、それ自体はシンプル。 正確に伝えるためにはたくさんの説明が必要だけれど、それが日常会話にも必要かというと、そうではない。 さほど重要ではない細かいことを、会話でも伝えようとしているから、受け取る側も混乱するのかなあ。 極端だけれど、日常的な会話や文章で、本当に必 要なことは一言二言くらいしかないのかもしれないなぁ… 主観的に大事な部分はたくさんあるから、言葉がどんどん増えていく。 だから、客観的に情報をそぎ落としていくことが、必要なのかもなあ。

一番最初のサクソフォンはバスサクソフォン

サクソフォンは1841年8月1日よりブリュッセルで開かれたベルギーの博覧会に於て、初めて人々の前に紹介された。残されたカタログによると、アドルフ・サックスは父のシャルルージョゼフ・サックスと共に彼の作品として8本の楽器と2つのアクセサリー(唄口等)が出品され、その中にバス・サクソフォンが一本含まれている。おそらくこれがサクソフォンが一般に公開された最初であろうと思われる。(p.33) 松沢増保さん「サクソフォンの歴史」(1986年,財団法人近衛音楽研究所)という本より。 サックスと言えば基本はアルト、という認識が今広まっていますが、意外にも起源はバスサックス。ここに書かれていることは、バスクラリネットの欠点を改良しようと試みるなかで、サクソフォンの発明に思い至ったというもの。その当時の低音楽器は硬すぎるか柔らかすぎる音色しかないこと、また弦楽器を屋外での演奏に用いるには音量が小さいということ、それを踏まえて屋外での演奏に耐えうる音量と音色を持った楽器を作るという意図があったようです。 サックスについてのこと、知りたいことを調べてここにも載せていきたいと思います。(できるるかなあ)

読書メモ / 北野武「余生」を読みました

北野武さんの「余生」を読みました。 大学時代から大変お世話になっている先生に「本を読むことは他人の人生を追体験することだ、だから本を読みなさい」と言われていたので、表現者としてなにか参考になることがあるかもしれないと思って図書館で借りてきたものです。 でもこの本、全く追体験なんてできるようなものじゃなかったです。北野さんの人生が人並み外れたものなので、そうだよね~と共感できるところが殆どないのです。インタビューによるもので、全編が本人の語り口調そのままで書かれているので、さらさら読めるのですが、最初から最後までなかなか衝撃でした。 前回の本の記事 がとても長くなってしまったので、今日はなるべく引用も少なめで簡潔になるように心がけながら、心に残ったことを書いていきます。 客観視 例えば、小学校のときに五~六人並ばされてビンタ食らってくんだけど、すごくおっかない先生で、隣の奴、三人目ぐらいは鼻血出てくるの。そんで、五人目は俺なんだけど「俺んとこ来る、俺んとこ来る」と思った瞬間にポンと抜けちゃって、「北野君殴られる」っていうような感覚になってるわけ。で、バーンとかって確かに痛いんだけどさ、「ああ、北野君、殴られて痛そうだね」って自分で言っちゃってんだよね。そういう感覚はすごいあった。(p.14~15) わたしは最近、観察自我を持つことを最近気にかけているところです。観察自我は、自分の身に起きる出来事や感情に対して良し悪しの判断を下さずに客観的に見ること、だと思っているのですが、それがとても難しい。気が付くと、たのしかったなぁとか、これは嫌だったなぁとか、これ好きだなぁ、とかどんどん主観的になっています。わたしはもう成人して社会的には大人なのに、今でも感情が自分の舵を握っている感じがどうもあるのです。場面によってはそれはそれで必要なのかもしれないけれど。 だから、小学生の段階でこうも客観的になれるのかということが、ただただすごい。 この本の中でもこの後で、映画監督の北野武とビートたけしはそれぞれ人形だと思って使い分けているだけだという表現が出てくるのですが、これほど自分と考えていることを切り離して考えられるから出来うることなのだろう、と思いました。 テレビに出ている姿を見ても、どうな...

読書メモ / 湯浅譲二×川田順造「人間にとっての音↔ことば↔文化」を読みました

湯浅譲二×川田順造「人間にとっての音↔ことば↔文化」という本を図書館で借りて読みました。 現代音楽作曲家である湯浅譲二さん、人類学者の川田順造さんの往復書簡と対談が掲載されています。 本の内容はお二方がそれぞれの考えに共感しながら、「音楽から見た文化の起源」と「文化から見た音楽」とでもいうような、それぞれの視点をもって人間の文化について語る、というようなものでした。お互いに思い思いに言葉を綴るうちにとりとめもなく話がどんどん進んでいるようかのようで、読み進めるのもも大変で、 読了後も書かれていることすべてを理解できているかというと、できていないです。 以下、本文より私が気になった部分を引用させていただき、思ったことや感じたことなどを書きます。 言葉は音 そのものにも意味を表すの役割があるということ 様々な意味と結びついて用いられてきたこれらの言語音が、その言語を母語とする人々にとって意識されないにせよ不可避に帯びてしまう意味から完全に独立したものではありえないでしょうし、従って異なる言語文化の人は、同じ音感語からの別の感じを受けるでしょう。(p33・川田) やまとことばは言葉の形が単純で、意味が多義的です。例えば「たつ」という音のつらなりで「立ち上がる」、「出発する」、「切る」、それから「時が経つ」。「たつ」という言葉の中にそれらの原初的なものが全部含まれているようなものとしてあったのではないか。それと、表意音に、音の発音とそれが意味しているような感覚が重なっている。「すべる」という動詞と、「すべすべしている」、これも音で感覚を表すものです。(p.134 川田) 川田さんはオノマトペを、聴覚刺激を表現したもの、視覚刺激を表現したものの二つに分けて、さらにその下にも下位分類を作り説明されていますが、音感語は聴覚刺激から出来た言葉を指しているものです。音感語の下位分類としてある表音語は音を直接言葉にしているにもかかわらず、同じ音を表していても言語によって大きな違いがあるとしています。(p32) たしかに犬の鳴き声は日本語ではワンワンで、英語ではbow-wou、フランス語ではouah-ouahだったり。母音を取り出すと確かに似てるような気もするのですが、かつてその違いを初めて知ったときは密かに驚きました。どこ...

日本文化会館の図書館

先月末、古いですがこちらの記事を見て、日本語の書籍があるとのことで日本文化会館(Maison de la culture du Japon à Paris)の会員登録に行きました。 ■ 知りたいことはココにある! - パリの図書館 - フランス生活情報 フランスニュースダイジェスト 図書館の貸出を利用することが出来るB会員は55ユーロ、学生の場合は割引になり40ユーロで、一年間有効です。 B会員の場合、イルドフランス内に住んでいることが証明できる書類(住所が書いてあるもの)、割引対象者はその証明書類(学生は学生証)が必要です。 ホームページには証明書類のコピーが必要と書いてありますが、受付で申込用紙に記入する際に提示しただけで、コピーをそのまま提出することはありませんでした。 証明写真も持っていきましたが、その場で撮影するほうが早いとのことで、カードの作成の際に撮っていただきました。 幅広く色々な書籍があり、蔵書は約2万5千冊(うち約9000冊が貸出可能)になるそうです。 ジャンルも幅広いです。芸術では音楽より美術関連の図書が多いように感じました。 会員でなくても図書館に入ることができ、図書館内で資料を利用することができます。 もともと多読家ではありませんが最近は電子書籍ばかり読んでいた私にとっては紙の本に触れられる貴重な場所です。もとがとれるようにたくさん本を借りて読もうと思います。 Maison de la culture du Japon à Paris 101 bis, quai Branly, 75740 Paris cedex 15 http://www.mcjp.fr/ja 開館時間は火曜日~土曜日 12時~18時、木曜12時~20時、貸し出しは13時以降。 毎週日曜、月曜、フランスの祝日は閉館。

Le chiffrage des accords(1)

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Le chiffrage des accordsという、和音の記法について書きます。 自分が通っている音楽院のFormation Musicalの授業(仏式ソルフェージュ)の授業でこの記法に遭遇するまで、授業や演奏の機会では目にしたことがありませんでした。 その後も殆どこの数字が何を表しているのか殆どわからなかったのですが、どのような仕組みなのかきちんと理解したいと思い、この記事を書くことにしました。  しくみ 定義 16世紀から18世紀半ばごろまでに用いられた速記。この記法によって写譜の時間を短縮すること、過多な楽譜を避けることができ、その後より複雑な作品が生まれるにつれて衰退していった。現在では音楽教育において、和音の理論的構造を理解するために用いられている。 原理 全ての数字は、その和音の根音に対する音程の幅を表現している。 完全五度は5で表し、第三音は省略する。 数字の前に臨時記号がつけられている場合、その数字の音のみ適応する。 単独の臨時記号はいつも第三音に対してつけられ、第五音は省略。 斜線で打ち消された数字は減音程を表す。 十字(+)は同音を表す。 数字の後ろに水平線を引くことは同じ和音が保続していることを表す。   ( Jacques Castérède ,2007) 和音記号(ディグリー、Ⅰ、Ⅴなどのローマ数字)は「この調の中の音階で何番目の和音です」という記号で、その機能を知るためのものだと思うのですが、これはあくまで、その和音自体を表す記号のようです。 同じように和音を表すものに、コードネームがありますが、 コードネームは「この和音にはこの音が入っています」という記号であるのに対して、 この記法では、「この根音の上にはこの和音が乗っています」というのを表すというような違いがあります。 しかし、第三音の度数を省略するため、数字だけでは短三度と長三度を見分けられない場面が出てくるため、あくまで調性に則った記法であることがわかります。 そう思うと何か思い出してきました。通奏低音の楽譜です。 しかも仏和辞書にすら「通奏低音の和音記号」と書いてありました。単に番号をふること全般を指しているのだと思っていたのに。 (しかし、中にバロックの数...